昨日の燃えるゴミの日にゴボウを捨てました。昨年の暮れに近所に住む親戚からもらったものです。毎年、同じ時期にゴボウをもらいますが、使い切れたことがありません。本数が多すぎます。私がスーパーで買うゴボウよりもずっと太くて長いものを、一度に20~30本ほどくれるのです。
捨てれば良いよと言われても
親戚の家では息子が青果市場で働いているため、規格外の品や少し古くなった品を無料でもらってきます。自宅で無人販売もしていますが、気が向くと我が家にもおすそ分けをしてくれるのです(ゴボウ以外にもいろいろくれます)。
最初は数が多すぎるから、こんなには要らないと伝えました。しかし、親戚は「使い切れない分は捨てれば良いよ。もともと無料でもらってきものだし」と言います。
確かにそうなのですが、私は普段食べ物を捨てることがほとんどありません。自分で買い物をするときは、必要な分しか買わないため、捨てることもないのです。だから、いくら無料でもらったものでも、捨てるときはものすごく抵抗感を覚えます。『なぜ、私がこんな嫌な仕事(食べ物を捨てること)をしなくてはならないんだ!』と怒りを感じることすらあります。
親戚からたくさんの野菜をもらうようになるまで、フードロス問題は私には関係ないことでした。
自分が気をつけているだけではフードロスは減らない
しかし、捨てるのが嫌だからと親戚からの野菜を拒否したとしても、結局どこか別のところで捨てられることになります。そもそも、規格外の品や少し古くなった品は放っておけば市場の中で捨てられます。親戚の息子はそれをもったいないと思ってもらうことにしたそうです。
私がいくら食べ物を捨てない、ムダにしないと頑張ってもそれは自己満足に過ぎなかったのかもしれないと今は思っています。同じ種類の野菜がたくさんあって、たとえそれがまだまだ食べられるものであっても、結局は手が伸びなくなり、そのうちに本当に鮮度が下がります。そうなるとますます、手が伸びなくなるという悪循環が起こるのです。
私が本当の意味で食べ物をムダにしない人間なら、何とか飽きずに食べ切れる工夫をするのではないでしょうか。たくさんの野菜を目の前にして、その工夫ができないのですから、私が食べ物をムダにしないのは上っ面だけだったということになります。
自分でできることは限られているから
ただ、自分が気をつけるのにも、限度があると思います。冷凍保存などは私も考えましたが、冷凍庫がもらった野菜だけでいっぱいになると、他のものを入れるのに困ります。かつてはおすそ分けも考えましたが、我が家の近所は今でも自分で食べるくらいの野菜は作っているという家が多いため、なかなかもらってもらえません。
最近ではフードドライブなど、食べ物を循環させて本当に必要な人に届けるシステムができていますが、そういった施設に持っていけるのは新鮮なものに限られます。私が親戚にもらう野菜は、決して新鮮なものではないため(食べるのには十分なのですが)無理なのです。
だから、もっと規格外や古くなったものを流通させるシステムができるべきです。それが普通に店に並ぶなら、お買い得品として喜んで買う人も多いのではないでしょうか。個人ではどうしようもない、と思うような量でも、店で大勢の人に売ることができれば、かなりムダになる量は減ると思います。
フードロスは他人事ではない
最近では店頭でも、手前から商品を取るようにと表示してある場合が増えました。これも少しでもフードロスを減らすための取り組みなのでしょうが、個人に訴えかけるよりも、根本を変えた方が効率が良いはずです。
世の中の大半の人が、自分はちゃんと冷蔵庫の管理をしているし、ムダなものは買っていないから、フードロスとは関係ないと思っているでしょう。でも、実はそうではないということを知っていて欲しいです。昨年の暮れにもらったゴボウは、残り僅かでしたが、下半分が溶けてどろどろになっていました。主婦として、人として悲しかったです。