読んでみて、身体だけでなく心も凝り固まった自分を認識した作品があった

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ドラマで人気があった「ミステリと言う勿れ」ですが、終了してしまいましたね。だからと言うわけではありませんが、ネットの無料試し読みで初回の話を読んでみました(私はドラマの前半をまるで見ていないのです)。

最初は容疑者だったんだね…

初回は主人公の大学生・久能 整(くのう ととのう)が殺人容疑で取り調べを受ける話です。久能が殺害したとされる相手は寒河江という高校・大学を通じての同級生でしたが、久能は彼との間に何の接点もありませんでした。

執拗な取り調べを受ける久能でしたが、実はその取り調べをしていた刑事本人が寒河江殺害の犯人だったのです。かつて寒河江の所有する車がひき逃げ事件を起こし、犠牲になったのが刑事の妻子でした。寒河江がひき逃げ事件の犯人と思い込んだ刑事による復讐劇でしたが、実は車を運転していたのはまったくの別人で、寒河江はひき逃げ事件を起こしていませんでした。

この取り調べの最中、久能は真実は人の数だけある、と口にします。単純な事故に見えても、そこにいた人たちにはそれぞれの立場がある、その立場によって見える真実は違ってしまうからだと久能は続けます。

真実は1つではないと知れば、気持ちが楽になる

誰かにぶつかって階段を落ちてケガをしたとしても、落ちた方は日頃のいじめの続きだ、わざと落とされたと感じ、かたや落ちなかった方は単純な事故だと言う、立場によってそれくらい違いがあり、そのどちらも真実なのだと言うのです。しかし、事実は1つしかない、とも久能は言います。階段で2人がぶつかり、1人が落ちてケガをしたこと、これは変えようのない事実なのだと。

刑事は自らの中に出来上がった真実にとらわれ、結局は犯人ではない若者を殺害して、その罪を久能になすりつけようとしました。しかし、久能の言葉に心を動かした刑事は、真実が人の数だけあることを実感したようでした。彼は初めて自分の真実をいったん脇に置いて、事実を見つめたのではないでしょうか。

自分の中の真実だけが唯一のものだと思ってしまうのは、私たちにもよくあることです。私はこの刑事が(確か藪さんです)他人には思えませんでした。引きこもりの次女のことを考えて、早く何とかしなくては、と焦る自分と刑事が重なって見えたのです。真実は1つではないことを早々に悟り、事実に目を向けていれば、刑事は殺人を犯さずに済んだし、何より自分がもっと楽に生きられるように思います。

自分の中の真実だけが唯一ではないと知る、それは自分を否定することではなく、物事を様々な方向から見られる鳥の目を手に入れることなのでしょう。多分、刑事は心をそっともみほぐしてもらったように感じたのではないかと思います。

現実世界で久能整を見つけるのは難しいから

ただ、結局人間は何を見ても自分で判断するしかないのも事実です。見るのに使えるのは自分の目だけですし、それを自分の脳を使って判断するしかありません。だから誰かの言葉がきっかけになって、他の人の真実に目を向けることになっても、それはその誰かのおかげではなく、自分のおかげということになります。誰かの言葉を受け入れるのも拒絶するのも、結局は自分の意思です。

久能 整のような存在はやはりファンタジーですが(実際にいたら反発するかもしれない)、同時に自分の中に久能のような存在を生み出すことができるかもしれないとも思います。ドラマや映画、小説や漫画など私たちが日々触れている作品の数々はもしかするとそのためにあるのかもしれません。

私は「ミステリと言う勿れ」という作品を通じて、真実が人の数だけあることを大切にできるなら、それほど人生は間違わずに済むのではないかと期待が持てるようになりました。身体も心も凝り固まるのは良くないですよね。

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