母の子育て、私の子育て

生活

私を育てた母は、昭和11年生まれ、私は昭和39年生まれです。私もあまり偉そうなことはいえませんが、どうも母の子育てには、こんな子に育てたいという明確な目標はなかったのではないかと思われます。

母に翻弄された私

それは私に対する言動の一貫性のなさにも現れていました。ある日は手伝いをしろ、玄関を掃除しろというから、その通りにしていると今度は勉強をサボっている、勉強しなさいと怒られるといった具合でした。

小学校低学年のときは、成績を心配した母が勉強を見てくれましたが、私に算数を教えるのは相当大変だったらしく、できないと竹のものさしで頭を叩かれました。これは私が覚えていたのではなく、後に母から聞きました。私の頭には傷ができず、ものさしが2つに割れたそうです。母は決して後悔はしていませんでした。そのときに多少厳しくしても、それが私をちゃんと育てることにつながったのだから、よかったと考えているようでした。

私が子どもを生んでからも、よく母は私に、子どもには強くいえば通じる、いうことを聞くのだといっていました。その証拠に私や弟は、母のおかげで成績もそこそこの普通の子どもになったのだそうです。私の母への反感は、表面には見えなくても、根深いものがあったと思います。

母のように子育てをしなかった私

ただ、私自身はこの育てられ方がとても嫌だったようで、子どもを生んでも、どうしても同じようにはできませんでした。母のように怒ることも、あれをしろ、これをしろと命令することもできませんでした。私の態度は子どもにとっても、それを見ている母にとっても無関心に映ったようです。

唯一私が意識したのは、子どもにかわいいと伝えることでした。私は子どものときに、容姿のことで母にからかわれた記憶がありました。今思うと、母は自分の子どもにかわいいということに照れがあったようです。そしてかわいいといって育てて、子どもがつけあがってはいけないともいっていました。

ただ、子どもはバカではありません。自分の状態を客観的に判断できる能力は、どの子どもも持っていると思います(私は自分の子どもを見ていてそう感じました)。だから、私は安心して、自分の子どもにはかわいいと素直に伝えました。

母のことも理解できるように

でも、子どもが成長して、学校に通うようになると、どうしても自分の子どもだけを見ているわけにはいきません。そうなると、成績や友だちとの付き合いなど、世間体を気にすることが出てきます。子どものことを考えれば考えるほど、勉強に遅れないように、友だちとうまく付き合えるようにと、子どもを世間の枠からはみ出さないように気を付けました。

すると母のことも、少しずつ認められるようになりました。世間体を気にして子どもを枠にはめることは、自分が恥をかきたくないことも理由でしょうが、子どもが生活しやすいように、と考えた結果でもあることを私も実感したからでしょう。

やり方が違っても、根は母と同じだった私

そして私と母の子育ての共通点にも気が付きました。子育ての目標がないということです。目先の世間体などに気を付けていても、目標がないので、明確な子育てができなかったのではないかと思います。私もいつもこれでよいのか、と疑問と不安を感じています。特に次女が引きこもりだしてから、それは大きくなっていると自分でも感じています。

そしてとうとう次女がいい出しました。
「もっとちゃんと、子どもにしつけをしておけばよかったのに~」
もっと厳しくしておけば、自分もちゃんと成長して、引きこもらなかったかもしれないというのです。

今、自分のことを省みると、自分に足りないところを母の子育てのせいにしていたかもしれないと思います。だから、次女もかつての私と同じ気持ちなのかもしれません。母はよくもう1度子育てをやり直したいといっていましたが、よかれと思ってやったことがうまくいかなければ、誰でも同じことをいうのではないでしょうか。

母の子育てと私の子育ては、時代や方法は違っても、結局行き着く先は同じなのかもしれません。でも、私は次女の引きこもりがこんなに長くなってもなお、子育てには失敗も成功もないと思いたいです。ただ、毎日一生懸命だったというだけです。

タイトルとURLをコピーしました