私は子育てに向いていないと思う人は意外に多いのではないでしょうか。子どもを育てていく間には、いろいろなことがあり、全部が良いことばかりとは限らないからです。自信を失ったり、嫌になったりすることはあると私は思います。
娘たちの自転車が盗まれたとき
そんな中で私が本当に私は子育てに向いていないな~、と実感したのは本当に些細なことでした。長女の自転車が盗まれたときです。高校1年生になって電車通学を始めた長女は、駅までは自転車で行っていました。駅前の駐輪場に自転車を置いていましたが、ある日下校のときに無くなっているとメールがあったのです。
高校進学のお祝いで買ったばかりの自転車だったので、私は諦めきれない気持ちでいっぱいでした。本当によく探したのか、そもそもその場所に置いたのかと長女に聞いているうちに、実は自転車の鍵をかけていなかったと言われました。
それは自分の不注意だよ、と私が言うと長女はこう答えたのです。
だって、自転車に乗った後は鍵をかけろって、誰も教えてくれなかったもん。私は自転車の鍵をかけるものだとは知らなかった。鍵をかけるとなんか面倒臭いでしょ?
ちゃんと鍵をかけるようにしつけなかったのが失敗?
確かに私も夫も、あらためて自転車に乗った後はきちんと鍵をかけておくように、とは言っていなかったかもしれません。それぐらいのこと、と考えていた私たち夫婦の落ち度だったといわれても仕方がありません。
しかし、自分の自転車を大切に思うなら、人に盗られては嫌だと思うでしょう。嫌ならば鍵はかけておこうと考えないのでしょうか。
家の玄関の鍵がかかっていないと物騒だと心配するのに(これは誰に言われたわけでもなく、勝手に心配するようになりました。我が家は昔の名残でいつでも玄関の鍵があいています)、自転車の鍵のことは考えないのは、私にとっては不思議なことです。
これは長女だけでなく次女も同じで、やはり一度自転車を盗まれています。こんな細かいことまで一々言って聞かせなくてはならないのなら、私に子育ては無理だと思いました。本気で他のお母さんたちはどうしているのか、尋ねてみたいとまで思ったくらいです。
丁寧に教えようとするとうるさがる娘たち
そして細かなことまで一々教えようとすると、今度はうるさそうにして聞く耳をもたないのですから、子育ては本当に割に合わないと思います。しかし子育ては無理だと感じたときは、既に娘たちが生まれて14~5年経っていました。今更後戻りはできるはずもなく、現在に至っています。
今では娘たちは2人とも成人しているので、知らなかった、教わっていなかったと親のせいにすることもなくなりました。しかし、自転車の鍵をかけるように、誰も教えてくれなかったという長女の言葉を思い出す度に、力が抜けてしまうような気がしています。
また、鍵をかけるようになったらなったで、長女は何度も鍵を失くすようになりました(次女は自転車を盗まれたのは1度だけ、鍵は失くしていません)。その度に、鍵を壊し付け替えるという手間がかかるようになったのです。まさに一難去ってまた一難という感じですが、これは子育てをしている人なら誰でも感じていることなのかもしれません。
今思うと長女の特性(アスペルガー症候群)も関係していたのかもしれませんが、これがわかったのはつい最近です。夫は何度も怒るし、私はため息をつくし、長女にはかわいそうなことをしたのかもしれません。
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