先日私が選挙に行ったときのことを記事にしましたが、多くの方は公明党をよろしくと信者の方に言われることに抵抗感を持っているようです。
私もかつては抵抗感を持っている一人でした。普段仲良くもない人が、選挙の前になると突然自宅に押しかけて、投票を要請する(これは明言しているわけではないですが)、これは法律的にして良いことなのかと思っていたくらいです。だから、多くの人がブログなどで、いくら要請されても決して公明党(の候補者)には投票しないと決意表明をするのもわからなではありません。
私も納得できない思いをしたことが…
我が家が家を建ててもう30年近くになりますが、信者の方は随分前から選挙の前になるとやってきていました(現在来る方とは別の方です)。しかし、そのうちの一人は引っ越しをされて、来なくなりましたし、もう一人の方は要求がエスカレートしてきて、それを断ったら怒って来なくなりました。
エスカレートした要求とは、我が家の塀に公明党のポスターを貼りたい、そして怪しげなビデオを見て欲しいというものでした。それを断ったら、すごく怒られました。私としてはご近所に住む方なので、何もかもを断るのは申し訳ないと思い、選挙の話も聞いていたのです。
しかし、塀にポスターを貼るというのは、わけが違います。我が家は実はこれも義理で自民党のある議員の後援会に入っていました(もう、記憶がおぼろげなのですが…)。それが突然公明党のポスターを掲げるのはなんとも都合が悪かったのです。
しかし、その方はいい年をして私に対して「こんなにスペースがあるんだから、ポスターの2、3枚貼らせてくれたっていいじゃない!ケチ!」と言って帰ってしまい、その後は2度と来ませんでした。来ないなら来ないでちっとも構いませんが、私はそんなに怒られることをしたのだろうかと、今も納得ができません。
自分たちの生活を良くするためにできることをする
だから、現在我が家にやって来る信者の方に会うまでは、創価学会の信者の皆さんに対して良い思いを抱いていたわけではないのです。その信者の方はとにかく自分たちが生きているこの社会を良くしたい、良くするために自分ができることは何かということを常に考えているような気がします。
市議会議員選挙の前に、我が家に訪れたときはこんなことを言っていました。
私は市議会議員を先生と呼んで敬うために選挙に関わっているわけではないの。市議会議員に仕事をしてもらうために、かかわっているの。どんな小さな不満でもあったら、絶対に議員に伝えるから必ず言って!
たいていの人は生活に不満があるとき、文句をいうだけで終わるでしょう。しかし、目の前の信者の方はそうではない、自分にできることを探しているのだと思ったら、それが素直に良いと思えたのです。
まあ、もともと私の実家の母もとある宗教団体に加入しており、そういったことでは通常の方よりも私の抵抗感は弱かったのかもしれません。とにかく、私はそんなにその信者の方が応援しているなら、私も一票をムダ(それまではムダにしていた…)にせず、投票に行ってみようかと思うようになったのです。
公明党は創価学会の組織票を当てにしている、と見るむきもあるかとは思いますが、組織票を得たいのはどの政党でも同じではないでしょうか。母が加入していた宗教団体にも、よろしくお願いしますと議員が何度も訪ねてきたそうです。これは母本人から聞きました。
ちゃんとお礼まわりもしているようだ
いろいろと言いましたが、結局私がその信者の方、個人を気に入っているだけで、宗教は何も関係していないのかもしれません。そう言えば、参院選の次の日、私が買い物に出ている間に、信者の方はお礼に来られたようです。ポストに直筆のお手紙が入っていました。
多分、その場で書いたのでしょう。今はなかなか見られない直筆のお手紙に「大変お世話になりました」と書いてありました。私はこちらこそ、と言いたい気持ちでしたが、これも人により感じ方は違うのでしょうね。
でも、信者にはならないかな。そういうのは面倒くさいです。向こうもそんなことは言いません。かつて母からも、勉強会だけでも来ない?と何度も誘われました(これは創価学会ではありません)。育児に悩んでいるお母さんのためになるわよ、言われましたが、行きませんでした。今思うと行っておけば良かったんでしょうか?