人にレッテルを貼るということ

生活

夫が農協の支部長をしています。協同組合は普通の企業とは違って、お客様ではなく組合員ということになり、組合員が農協の経営に参加するというシステムです。だから農協から発行される広報誌なども、組合員が自分たちで配りますし、連絡事項があれば自分たちで回覧板を回します。

夫のことだけをいわれる

配布物は毎月、支部長の自宅に届けられるので、それを班ごとに仕分けして班長さんの自宅にそれぞれ届けます。組合員は正と準に分かれていて、配布物の内容が違いますから、仕分けは以外に面倒です。夫は最初、これは自分の仕事だから、手を出さなくてよい、と私にいっていました。

でも、それでは届いた配布物が何日もそのままになってしまいます。私が仕分けだけでも手伝えば、地区のみなさんに少しでも早く届けられると思って夫が支部長になってからはずっと私が仕分けをしていました。

私が地区の集まりなどに出かけると、「いつも、ご主人にお世話になっています」とあいさつされることが多いです。いつも配布物を届けるのは夫だし、会合に出席するのも夫だから、それも当然です。

私に向かって話してくれた人とは

でも、1人だけ私に向かってあいさつをしてくれる人がいました。

いつもきちんと仕分けをしてくれて、ありがとう。わざわざ班と組合員の人数まで付箋に書いて貼ってくれるから、わかりやすいわ。

どうも付箋の字を見て、私だと判断したようですが、そんなことをいってもらえると思っていなかったので、驚いたしうれしかったです。何だか自分が認められたような気がしました。

その私にむかってあいさつをしてくれた人には、私の娘たちと同い年の子どもがいます。だから昔から顔見知りでした。でも、その頃はその人のことをよい人だと思ってはいませんでした。目が合ってもあいさつをしない、自分が気に入った人としかしゃべらない人だと評判で、私自身もその評価を本当だと思っていました。

私は自分でも気付かないうちに、人にレッテルを貼っていたのです。でも、レッテルは一言お礼をいわれただけで、あっけなく剥がれてしまいました。

レッテルは気にすることはなかった!

自分でも人にレッテルを貼られている、と実感することはよくあります。私はそんなつもりじゃなかった、とかそんな人間ではない、と言い訳したくなるときは、人に貼られたレッテルが不服なのでしょう。

でも、今回のことで、レッテルは以外に流動的で、貼られたと思ってもすぐ剥がれるし、知らないうちに別のレッテルが貼られていることもあるんだと思いました。だから気にすることはないのです。

自治会やPTAだけではなく、農協の仕事までやらなくてはならないことに不満がまったくないといえば嘘になります(本当は結構面倒です)が、何でも嫌なことばかりではありませんね。これをしていなければ、私は人のレッテルについて考えることもなかったでしょう。

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