現在55歳の私ですが、大人になるまでマスクといえばガーゼでできたものでした。今のような使い捨てのマスクが当然になったのは、つい最近のことだったような気がします。
昔はガーゼのマスクしかなかった
ガーゼを重ねて作ったマスクは、息苦しくて好きではありませんでした。これは私だけではなかったと思います。以前はカゼも引いていないのに、マスクをつけて歩いている人を見かけることはありませんでした。
そしてマスクにはウイルスを防御する機能はない、ということも広く知られていました。マスクは自分がカゼを引いたときに、人を不愉快にしないためのものだと、皆わかっていたようです。
大人になって次々と販売された現在の使い捨てマスクは、花粉やホコリなどは十分に防げます。その証拠にマスクをつけると、花粉症の人は症状が軽くなります。ガーゼのマスクでは花粉やホコリを防ぐのもままならなかったので、ずいぶんと進歩したものだと、私は感動しました。でも、ウイルスまで防げるかというと、そうではないそうです。
花粉やホコリに比べて、ウイルスはあまりに小さいため、マスクを通り抜けてしまいます。だから、予防としては不完全です。実際にマスクと手袋をした検疫官が感染してしまったことがありました。それなのに、人々はマスクに固執しています。
ガーゼのマスクに戻る前に
使い捨てマスクが手に入らないから、またガーゼのマスクをする人が増えているようですが、それは何のためなのか、と不思議です。エチケットのためなのか、ないよりはましだと思っているのか、よくわかりません。
転売目的でマスクを買い占めた人は、きっとまだマスクを持っているでしょう。オークションサイトに出品はできなくなりましたが、表立ってマスクを売ることはできなくても、裏取り引きは行われているようです。ガーゼのマスクをする前に、たくさん持っている人のマスクをすべて放出させたいと私は思ってしまいます。政府が呼びかけて、そういう人たちからマスクを買い上げて、それを販売するようなことができないのでしょうか。
ないならないで自分たちで何とかするという姿勢はとても美しいですが、買い占められたたくさんのマスクがそのままで、医療関係者までが困った状況のままでいるのは、納得できないです。同じことを感じている人が、私以外にもいるのではないでしょうか。いや、いて欲しいと思います。
マスクをしない選択
現在我が家にはマスクの在庫はありません。次女が少し持っているようですが、私も夫も長女もマスクなしの生活を送っています。私はほとんど外出しませんが、それでもスーパーの中で、私だけがマスクをしていなかったこともあります。そんなときに、肩身が狭いと思うこともあります。でも、ないからしない、それだけです。私は自分でマスクを作ってまでしようとは思いません。並んでまで買おうとも思いません。
息苦しくて、メガネが曇って危ないマスクをわざわざしようとは思わないのです。マスクを買い占めした人の顔を私は知りませんが、その人たちに対して、私は意地になっているのかもしれませんし、みんながしているので、余計にしたくなくなっているのかもしれません。
今のところは健康に毎日を過ごしています。