私と母との関係は、それほど悪いものではなかった思います。決定的に悪いものではなかったけれど、それほど親しく甘えたということもなかったようです。
複雑だった母
母はよく知り合いの娘さんが、毎日のように実家に電話をしてくる話、孫をつれて何泊もする話をして、「大変よね~」といっていました。でも私には、それが「羨ましい」と聞こえていました。母は誰かに甘えられたり、頼られたりするのは大嫌いなのに(自分は甘えたり、頼ったりしていないという自負があったようです)、誰からもそれをされないのは寂しい、と感じているフシがありました。
私にはそこのところをちょうどよくこなす能力がなかったので、自然と母からは遠のいてしまった感じがあります。母が具合が悪くなってから、亡くなるまではそんなことを考える余裕がなくなり、母からも「お前が来てくれないと生活ができない」といわれたので、ちょくちょく母のもとに通いました。
亡くなってから思い出した言葉
母が亡くなってから、義務のように四十九日までの間、7日ごとに母の家に通いました。もう母は亡くなっているのに、そうしないと母がかわいそうな気がしました。急に母のところに通う習慣が止められなかったのかもしれません。そのときに度々「墓に布団は着せられぬ」と母がいっていたことを思い出しました。
文字通り、寒いときに墓に布団を着せても、亡くなってしまった人を暖めることはできません。そうならないように親が生きているうちに、布団を着せてあげましょう、つまり親孝行しましょうという意味です。私が7日ごとに母の家に通って、お線香をあげて拝むのはまさに墓に布団を着せるような行為なのかもしれない、と思ったのです。
墓に布団を着せてもよいじゃないか
ただそのとき、私は墓に布団を着せるような行為でも、自分が満足して心が休まるなら、それは決してムダではないと思いました。母は生きているうちに、親孝行をしなさいよ、といっていたのでしょうが、自分の意に沿わないことは露骨に迷惑がっていた母に、喜んでもらうのは容易なことではありませんでした。だから、亡くなった後に親孝行の真似事をするのも仕方がないと思えたのです。
何しろ私が母のものを片付けたときに、私が独身時代に贈ったプレゼントがゴロゴロと未使用の状態で出て来ました。1つや2つなら、もったいなくて使えなかったのかな、と思えますが、ゴロゴロ出て来たのを見たときには、『あ~、気に入らなかったんだな』と思わざるを得ませんでした。だからこそ、墓に布団を着せる行為が私には必要だったのです。
母の思惑とは違ってしまいましたが、子どもの頃にいわれたことが、こんなに長く私の中に定着しているのをもし母が知ったら、きっと驚くと思います。知らせてあげたいけれど、もう方法がないのが残念です。