先日まで放送していたドラマ「となりのチカラ」。主人公の中越チカラが隣人のトラブルに次々と首を突っ込みますが、彼は最終的にその人の話を真剣に聞くことが最良の方法であることに気がつきます。
チカラが次々と首を突っ込んで行く場面の数々を見ていると、結構イライラしますが、私以外にも同じ感情を持った人は多かったようです。私がこのドラマを見ていると、側にいる長女が何度か「これを見てイライラする人が多いらしいよ~」という内容のことを言っていました。SNSにイライラを表明していた人も多かったのでしょう。
この世を凝縮したようなドラマの世界観
私はこのチカラたちが住むマンションが、まるでこの世をギュッと凝縮したもののように思われました。何かトラブルや悩みを抱えている人たちが、1つのマンションに固まっているからまるでドラマのように見えますが(まあ、ドラマですが)、このマンションをこの世の中に置き換えて考えてみると、何だか納得ができるのではないでしょうか。みんな表面上は普通の顔をして生活しているけれど、実は何かを抱えている、とはよく言われていることです。
最初はドラマだから、中越チカラが画期的な方法でトラブルを解決するのかと思っていましたが、結局登場人物は自分の力でトラブルを解決というか、通過していきます。認知症になった祖母の面倒を見るのが大変になって施設に入れる高校生の孫、夫の暴力を我慢していたが離婚を決意して家を出た妻など、みんな誰かに何とかしてもらったのではありません。自分が主体となって危機を乗り越えて行きました。
しかし、トラブルを通過する過程で周りの人たちに話を聞いてもらい、励ましてもらったことが後押しになっていたことは間違いないようです。私は今までいくら人に話を聞いてもらっても、それはそのときに少し気が晴れるだけだと思っていました。いくらグチをこぼしたところで、トラブルになっている原因は何も解決しない、それなら自分が黙って解決策を探した方が良いというのが私の考えでした。
なぜ話を聞いてもらうことが力になるのか
チカラが話を聞いた人たちは、自分で話をすることで考えを整理し、ときにはこれはもう仕方のないことだと現実を受け入れます。チカラが首を突っ込む隣人たちは、本当はすでに答えを自分の中に持っていたのかもしれません。しかし、自分の中にあるはずの答えを往々にして見失ってしまうことがあるのも、ドラマを見ているとわかってきます。
人間は目の前のことに心を奪われると先のことが考えられなくなります。同じマンションに住む夫に暴力を振るわれていた妻は、夫を怒らせないこと、家庭を壊さないことばかりを考えた結果、いちばん大切な娘にまで暴力を振るわれてしまいます。
彼女はチカラや他の住民に話を聞いてもらうことで、自分が本当は何を大切にしているのかを思い出し、離婚して新たな一歩を踏み出す決意をします。話をしているうちに、そしてそれを親身に聞いてくれる人からの答えを聞いているうちに、かえって自分の中に目が向いて本当の気持ちがわかるようになったのでしょう。
私にこんな隣人はいませんが(もしいたら、ちょっと怖い)、自分の中に答えはあるのだと思えば、どんな悩みも通過できるのではないかと思っています。確かに悩みのない人はいないけれど、その悩みの答えはもう自分が持っているのだと思えば、何だかこれからの生活に希望が持てそうです。チカラは特別な人が持っているのではなく、みんなが持っているという希望の持てるドラマが「となりのチカラ」だったのです。