先日、30歳の長女が体長5cmほどのぬいぐるみを失くしたと、真剣に悩んだ話を記事にしました。
失くしもののために費やす時間は大きい
実際にはぬいぐるみは長女のベッドと敷きパッドの隙間に入り込んでいただけで、1日経たないうちに無事見つかりました。まあ、良かったのですが、長女の人生に失くしものに向き合う時間はバカにならないなと感じます。
今回、実際にぬいぐるみを探した時間はそれほど長くはありませんでしたが、『ない!』と悩んでいる時間、『失くしたかもしれない、どうしよう』と悩んでいる時間は長かったと思います。
長女は前回の記事でも書いた通り、自分の身の回りのものにとても愛着を持っており、1度失くしたかもしれないと思っても、すぐには諦めません。手を尽くして探す、立ち寄った先に連絡するのは当然で、見つかったときには、自分で取りに行くことも度々です。
普段自分が被っている帽子を友だちと立ち寄った喫茶店に忘れたことがありました。職場にも自宅にも近くはないその店に、帽子を取り行くためだけにもう1度訪ねて行ったそうです。
よく探しものをするのは人生で最もムダな時間だと言う人がいますが、自分の部屋で見つけられれば、実はそんなにムダではないのかもしれません。
特に長女は失くしものに費やすものが大きい
長女を見ていると、探す時間だけでなく、どこで失くしたのか、なぜ失くしたのかと考える時間、立ち寄り先を思い出し、連絡をする時間、もし見つかった場合でも、その場所に行くまでの時間と交通費などがかかっているのです。
恐ろしくいろいろなものを浪費していると思わずにはいられません。まだ長女は30歳で、これから先の時間のことなど考えないでしょう。だから、そんなことをしていられるのだと思います。私の年齢だと、はっきり言って、それは時間のムダでしかありません。
私も最初のうちは、長女のそんな行動をものに対する責任感が強いのだ、ムダにしたくない気持ちの現われだと良い方にとらえていました。そして、それだけ責任感が強ければ、そのうちものを失くさないようになるのではないかとも思っていたのです。
しかし、今のところ長女はものを失くさないようにはなっていません。そして失くすことに慣れるわけでもないし、諦める気持ちもないようです。
失くせば頭をしぼって考えるし、時間を作って探し続けます。それを見ているとやはり私は、ものは少ない方が良いと思ってしまうのです。最初からなければ、失くすこともありません。
よほどものの管理が得意な人でなければ、たくさんのものを抱え込まない方が良いことを、私は自分の娘の姿から再認識しています。
見つかって喜んでいる姿に不安が…
ぬいぐるみが見つかったとき、長女はそれは嬉しそうな顔で私に報告してくれました。私も笑顔で「本当?良かったね~!」と答えましたが、これを何回繰り返すのか、心の中はモヤモヤとしたものでいっぱいでした。
何度も言いますが、長女は現在30歳。これが小学生だったら、これからきっとしっかりしてくるよね、と希望を持つこともできるのですが…
私は現在59歳です。これからドンドン物忘れも増えるし、ものの管理も大変になるでしょう。私は長女の姿を参考に、ものは少なくすることを心がけて生きていこうと思っています。