買い物に出かけたら、近所の顔見知りに会いました。彼女は私と同じ年で、一緒にPTAの役員をしたこともあります。昔ながらの家に嫁いだので、敷地内同居ではなく夫の母親(父親は60代で他界しています)とともに、一つ屋根の下で生活をしていましたが、その母親が亡くなったと知らされました。
問題は認知症だけじゃなかった
近年、彼女は夫の母親が認知症になって、一緒に生活するのが大変そうでした。彼女は30歳を過ぎて結婚・出産をしたため、まだ学生の子どもがいます。子どもの進路問題と母親の介護問題が重なった重圧は私にも容易に推察できました。
さらに母親が認知症になり、以前と言動が変わってしまったことで、彼女の夫も変化しました。話が通じない、言ってもわかってもらえないことで夫がイライラするようになり、母親に手を上げることもあったそうです。
私と彼女が住んでいる土地は、昔ながらの農家があった村(今は市になりましたが、村の雰囲気はそのまま残っています)で、人と人との結びつきが強い分、他の家への関心は高いです。夫が母親を怒鳴る声がする、母親の悲鳴が聞こえるなどで、家の中のことはあっという間に知れてしまいました。
夫は最後まで他人に委ねることを嫌がった
結局、もう一緒に生活するのは無理だから、母親を施設に入所させようということになりましたが、認知症の症状が強いと普通の施設に入ることができません。最終的に母親を引き受けてくれたのは、精神病院だったということです。
ところが母親が入院することに、一番難色を示したのは夫だったと言います。彼は手を上げてしまうほどに、母親の変化が受け入れられないのに、他人の手に委ねるのは嫌だとゴネ続けたのです。このままではみんなが不幸になってしまう、プロにお任せしよう、と夫の妹が何度も説得してくれたそうです。
顔見知りの女性は、母親が入院してからも、いつ退院させられるかと不安そうでした。退院して家に返されたら、もう自分たち家族の生活は成り立たないとまで思い詰めていたのです。
罪の意識を感じるかもしれないけど
結果として自宅に帰ることなく、母親は亡くなりました。コロナのために直接面会することもできなくなり、ガラス越しに会っても、母親は自分の息子も嫁もわからなくなっていました。今年4月にもう危ないと連絡をもらって、すぐに息子である夫が駆けつけましたが間に合わず、母親を看取ることはできなかったのです。
彼女は夫を見ていると気の毒だと言っていましたが、同時にホッとしたとも言っていました。ただ、ホッとしている自分に罪の意識があるようで、それが私には気の毒に感じられました。
自分の家族が変わっていくことを受け入れて、ともに生活できる人もいるでしょうが、それが難しい人、ストレスになってしまう人もいると私は思います。できないことを無理してやっても、介護する人、される人が不幸になるだけです。
幸せのカタチは人それぞれです。プロの手を借りることで幸せが守られるなら、それで良いと思います。きっと罪の意識は他人の目(彼女の場合は近所の人の目です)を意識することで生まれるのだと思います。しかし、他人は所詮他人です。自分たちの生活に責任を持ってくれる人は誰もいません。
世の中には親を施設に任せたくでも、費用の関係でできない人がたくさんいます。費用には困っていなくても、施設に空きがないこともあります。無事に施設に任せられることは幸せなことなのです。
罪の意識はいつか薄れると思う
感じるなと言っても、罪の意識を感じざるを得ないことは私にもわかります。私も夫の祖母や実の母が亡くなったときに、悲しさや寂しさとともにホッとしたからです。
でも、その感情は人間は亡くなると、すべてのことが終わりになることから生まれるのだと思います。誰かが亡くなる以上に大変なことはありません。亡くなる前は、それがいつになるのかビクビクしていますが、亡くなってしまえば終わりです。だからホッとするのではないでしょうか。誰かの死を望んでいるとか、そんなことではないような気がします。
母の死の直前、思えば私もずいぶんとビクビクしていました。片時も携帯電話を手放せなかったです。母が亡くなって、やっと電話が鳴っても驚かなくなりました。そして今、罪の意識はかなり薄れていると思います。時間が解決してくれたのです。
顔見知りの女性も、きっと時とともに罪の意識が薄れ、普通の生活に戻って行けるはずです。そうでなくては困ります。そんな時が来るのとコロナが収束することを願い、その暁には思い切り喋りましょう、と言って彼女と別れました。
最近、私はスーパーで立ち話をする機会もほとんどありませんでしたが、たまにはこんな日もあるんだな、とちょっと自分で感心しています。