PTAの役員をしていたとき、自分のことを「私はお腹に溜めない人だから」と言っている女性がいました。言いにくいこともズバッと言うけど、一切他意はないのだと言うわけです。
悪気のない人だから、と他の人も彼女のことは悪く言いませんでしたが、私は苦手でした。一緒に仕事をするときも、一切オブラートに包むということがないので、彼女の発言にカチンとくることは少なくありませんでした。
お腹に溜めないというのは、そんなに良いことなのか
すべてを皆の前で吐き出さず、何とか少しはお腹に溜めておいてもらえないものか、と私はよく思ったものです。もし自分の方が正しいとしても、黙っていてあげた方が良いこともあるのではないでしょうか。
「お互いに、お腹の中に溜めるのはやめましょう」とよく彼女には言われたものですが、昔からよく知っている親友ならまだしも、たまたまPTAで知り合っただけの人に、私はとても何もかもぶつける気にはなれませんでした。そうすると、自分が我慢する確率がとても高くなってしまうのです。
皆は本当にお腹に何も溜めない人が好きなのか、と不思議に思ったこともありましたが、今になって思うのは、皆自分を器の小さい人間だと思われるのが嫌だったのではないかということです。
私のように彼女の言動に一々腹を立てたり、気にしたりするのは、自分が小さい人間だと知らせるようなものです。
皆、自分は気にしていないと示したかったのではないでしょうか。何を言われても気にしていないと周りに示すためには、彼女と仲が良いように振る舞うのが一番の方法です。
ある意味、これは裸の王様に似ているのかもしれないと思います。この場合、裸の王様のことよりも、自分が周りにどう思われているのかを気にしているので、王様のことはどうでも良いわけです。ちょっと王様が気の毒ですね。
私にも原因があった?
まあこれは私が勝手に感じていたことですから、本当に彼女はざっくばらんに人付き合いをして、誰からも慕われていたのかもしれません。たまたま私が気難し屋だったのでしょう。
また、私がシングルタスクしかこなせなかったのも影響したのかもしれないと今は思っています。彼女は周りの人たちに、PTA役員だけでなく、ボランティアの仕事などもどんどん振って来ました。これはもちろん強制ではありません。彼女だけでなく、誰にも強制するだけの力はありません。
私だけが、一度にあれこれできません、と拒否したことが数回あったので、当たりがきつくなったのかな、と思います。
少しお腹に溜めるのが礼儀のような…
それにしても、お腹に溜めないと自分で言うのはどうかと思います。それは他の人が言うことではないでしょうか。例えば、こんなふうに。
〇〇さんって、ひどいこと言うんだよ!
あの人はお腹に溜めない人だから、悪気はないんだよ。
全部相手にぶちまけず、少しはお腹に溜めるのが大人の礼儀ではないかと、私は思うのです。友人なら嫌なら付き合わないし、仕事上の関係なら、もっと割り切って付き合えたと思います。いろいろな人が集まるPTAは大変でした。今年もまた、活動が始まるのでしょうか。若い保護者の皆さんは頑張って欲しいです。
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