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同じ位の年齢の人のブログを見ていると、良くも悪くも親に対しての思いが目立ちます。今回気になったのは「はるごん」さんのブログです。記事はこちらです「ついでに思い出したこと」

色あせた親についての気持ち

はるごんさんのご両親は健在のようで、だからブログに書かれている思いがとても生き生きして強いです。はるごんさんはご両親に対してとても複雑な思いを抱えているようなので、こんな書き方をしたら気分を悪くするかもしれません。でも、両親ともにもう亡くなった私から見ると、はるごんさんのご両親に対する言葉は生きた言葉だと思います。

私は両親に対して思ってきたことは、今となっては色あせてしまいました。私も親に対してはいろいろと思ったことがありました。

私の父は優しい人だったとは思いますが、酒が大好きでそのことでよく母と争いになっていました。酒好きが高血圧を招き、結果的には脳卒中の発作を起こして生死の境を彷徨いました。命をとりとめた後には言語障害と右半身の麻痺が残り、歩行もおぼつかなくなってしまいました。

母は父が元気だったころから父の収入に対する不満もよく口にしていましたから、父が働けなくなったというのは本当に辛いことだったはずです。母は正社員となって働き、家計を支えて私と弟を育ててくれましたが、その収入は父が働いていたときに比べるとあまりに少ないものでした。それでも母は私と弟を進学させてくれました。

家が嫌だった時代

私は恵まれていたと思うのですが、そのときにはそうは思えませんでした。学校から帰ると夕食を作ったり、洗濯をしなくてはならないのがとても嫌でした。

私が手伝いをしないととても文句を言われるのに、弟は言われないというのが嫌でした。そして手伝いをしてもお礼を言われるどころか、更に文句を言われるのも嫌でした。手際が悪いとか、まずいとか、お前に料理を教えているとイライラするなどという文句を聞かなくてはならなかったのです。

高校から大学にかけて、私は家に帰るのが嫌で夕方から夜にかけては理由もなく外をウロウロしていました。今、考えると母はストレスが溜まっていました。1日働くことで体も疲れていたし、自分が一家を支えなくてはならないプレッシャーもあったでしょう。そのことは私も年齢を重ね、思いやることができるようになりましたが、私はそれでも母に感謝の念を抱くことができませんでした。

もしかすると私にもプレッシャーがあったのかもしれません。大変な状況の家だから、親のことを考えて、家事を一手に引き受けるよい子にならなくては、と周りから期待をされていたような気がします。そして私自身も真剣にそう思い込んでいたようです。

結婚していろいろとわかったけど

また、幼いころから父の酒や収入に関する不満を母に聞かされてきましたが、これも私が実家を嫌になった理由だと思います。私はそんなことを聞かなくてはならない理由はないと思っていました。母は何回も離婚を考えたそうですが、実行する前に父が倒れてしまい、そうなってからは離婚ができないと嘆いていました(半身不随になった父を捨てるのは人としてどうかと思うという理由で、離婚はできなくなったそうです)。

私自身が結婚して子どもを生み、思い通りにならないことも経験して、父や母のこともそんなに気にならなくなりました。でも、それで2人が近い存在になったかというと、そうではありません。

2人共亡くなった今は両親の思い出も色あせてしまったと言いましたが、なんというかまるで他人のことのように感じられるのです。

親子も難しい

はるごんさんや以前紹介したチャコさん(記事はこちらです。「怖いけど読みたくなるブログ」)はきっと親を他人のようには思っていないでしょう。だから辛いのかもしれません。

今40代、50代くらいの人たちの子ども時代は、体罰も当たり前だったし、親子の関係が悪くなりやすかったのかもしれません。受験も過酷だったし…(受験戦争とまで言われていましたね)。

でも、親子関係の傷を引きずっている人があまりにも多いような気がします。人間は何のために子どもを生むのか考えてしまいます。この問に(引きこもりの娘が聞いてきます)いまだに答えが見つかりません。

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