コロナ騒ぎのせいで休校がズルズルと延びています。これがいつまで続くのか、誰にもハッキリとしたことがいえません。このまま休校が延びるよりも、いっそのこと始まりを9月に変えてはどうかという意見があちらこちらから出ているそうです。
9月に変えるだけでは、ダメ?
確かに今の制度のまま、5月の末や6月に新学期をスタートしても、ゴールは3月ですから、学習面の不安はもちろん、学校行事も犠牲になるものが増えそうです。海外では、学校は9月に始まるのがスタンダードですから、この際日本も9月始まりにしようと考えるのは無理もありません。
でも、私は単に新学期の始まりをずらすだけでは、不十分ではないかと思います。このコロナ騒ぎのようなことがもう1度起こらない保証はどこにもありません。新学期が9月にスタートしても、先の見えない休校が続けば、やはり学習や行事のための時間は足りなくなります。そのときにはどのように対処するのでしょうか。
今年度に限っては、始まりの時期をずらして時間を確保するのはよい方法です。でも、また同じことが起こったときにどのように対処するかを考えて置かないと(また、始まりの時期をずらすのでしょうか)、将来困ることにならないかと他人事ながら(我が家には学生がいないので…)不安になります。
どんな場合でも学習ができるように
長い期間、休校が続いたときに学習はどうするのかを考えておくことが、最初に必要なことだと思います。
例えばオンライン学習です。現在、オンライン学習は学校により内容に格差があるようです。どの学校に通っていても、一定の水準以上のオンライン学習ができるような環境を整えておく必要があると思います。
オンライン学習だけではなく、実際に通学できないときはどのように学習するのかを考えておくことも大切ではないでしょうか。定期的に教材を学生の元に配布・回収するシステムなどを考えておけば、ネット環境がない場合でも学習をすすめることができるでしょう。
学校という場所の価値
確かに実際に通学して、生身の人間同士が触れ合うことにはとても価値があると私も思います。多くの人が社会に出てからの人間関係の作り方を、学校で学んでいるはずです。しかし、命を脅かすような病気が蔓延しているなら、学校という場所にこだわることはできません。どんな学びであっても、命さえ守れていれば、後から取り返す機会はたくさんあります。
こうしてどんな状況でも学習を続ける方法が確立されていれば、コロナ騒ぎのような今までに経験したことがない事態に対しても落ち着いて立ち向かえます。学習への被害も最小限に食い止めることができるでしょう。今回は準備期間がないままに休校になってしまったため、余計に学習への被害が大きくなったと思われます。
学校という場所にこだわらない学習の方法があることは、学びの形にバリエーションを与えることにもなります。学校になじめない人たちにも、学習の機会があることになるので、悪いことばかりではないと思います。
9月に変える前にできること
貴重な学習とふれあいの機会を奪われてしまった人たちは気の毒というしかありませんが、私は学校の始まりを9月に変えることには、慎重になって欲しいです。
今はまだ世の中のほとんどの企業で、新年度は4月に始まります。世の中の動きと学校はかけ離れてもよいのか、よく考えないといけないと思います。
また、学習が万全とはいかない環境で、学校を卒業することになる人も大勢いると思います。その人たちが、社会に出たときに困らないように、周りのすべての大人がちが心を配ることを忘れてはいけません。
昔から、大人は若者にレッテルを貼ります。〇〇世代だから、こんなことも知らないんだな、などといわれた経験がある人は、世代を問わずにいることでしょう(今から35年前に成人を迎えた私の場合は、新人類と呼ばれました)。
今回のコロナ騒ぎは誰もが未経験のことです。誰にも責任はありませんから、決してこのようなことを口にしてはいけないと思います。学校で経験できなかった分を、社会で取り戻せるように大人が協力してあげるべきでしょう。
入学・新学期を9月にずらす前にやれること、やらなくてはならないことはたくさんあるのです。