子どもの食生活を担うのはむずかしい!食事を与えられないで入院を繰り返した事件に思うこと

子どもの食生活 生活

8歳の女の子が母親から食事を与えられず、低血糖状態となり入院を繰り返したという事件が数日前に報道されました。そんなことをした理由は、入院して共済金を得るためです。だまし取った共済金は母親の遊興費や服飾費となっていたようです。

女の子は下剤などを飲まされた上、厳しく食事を制限されており、丸1日何も食べさせてもらえないこともあったと言います。大体保護者の立場にある人は、子どもに食べてもらおうと必死になります。たくさん食べて丈夫に育って欲しい、この思いが行き過ぎて無理やり食べさせることになってしまった経験がある人もいるのではないでしょうか。

食べなさいと無理強いした私も同類?

私も食事をきちんと食べないなら、おやつを食べてはいけない、と娘たちを脅すことがありました。当時は娘たちの健康を考えて注意をしていたつもりでしたが、今このことを思い出すとき、私は子どものことを考えているようでいて、実は自分のことしか考えていなかったのではないかと思います。

今もそうなのかもしれませんが、私の娘たちが幼かった当時、子どもの健康は親の責任だという考えが強かったのではないでしょうか。その証拠に私は実家の母から「子どもたちにカゼを引かせないように、注意しなさいよ」と言われていました。

まあ、カゼは引かないに越したことはありませんが、これは私にはいかんともしがたいことです。私がわざとカゼを引かせるわけではありませんし、いくら私が注意しても子どもたちはカゼを引くときは引いてしまうのです。

だからかつての私が子どもたちの健康を守ろうと食事に注意を払うとき、それは世間体を気にしての行動と紙一重だったと今は思います。

事件の母親は自分の楽しみのことしか考えていなかったでしょうが、私も娘たちのことを考えているようで、実は自分のことしか考えていなかったのかもしれません。私は精一杯やっていると世間から評価して欲しい、と思っているだけだったのかもしれません。

子どものことを置き去りにしていることは私も事件の母親も同じだったような気がします。彼女とと私たちは対局にいるようでいて、実は根っこが同じだと思われるのです。だから子どもの食生活を担うってとてもむずかしいことだと思います。

食生活を担うのは支配と紙一重

食べるなと言うこと、食べなさいと言うこと、どちらも行き過ぎると子どもを傷つけてしまうのです。だから今回の事件の母親のことを、私は自分とかけ離れた特別な人だとは思えません。ちょっとしたことで、自分もそうなる可能性があることを忘れないでいたいです。

子どもに限らず誰かの食生活を一手に担うことは、その人を支配することに等しいことかもしれません。だって食べないと人は生きていけません。一刻も早く娘たちには成長してもらい、自分で自分の生存のためにエネルギーを確保できるようになって欲しいと私は思っていました。今回の事件の被害者となった女の子にも。

今回の事件の母娘はこれからどうなるのでしょうか。娘は母を許すのでしょうか。今体調は安定しているというのが、せめてもの救いですね。

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