夫の祖母

生活

両親を早く亡くした夫は、祖母と弟2人とともに暮らしてきました。私と結婚してから3年後、実家の敷地内に私たちは家を建ててもらい、新しい生活が始まりました。

明治生まれの祖母の人生

祖母は1911年生まれで、婿をとって家を継いだ人でした。それを聞くと何の苦労も無かったのかと感じる人もいるかもしれませんが、夫は32歳という若さで亡くなり、6人の子どものうち3人を幼いときに亡くすという経験をしています。

その上、やっと成人した3人の子どものうち長男(夫の父)は39歳で交通事故で亡くなり、長女も40代のうちに病死してしまいました。あまりにも辛い体験が多かったため、物事を悲観的に見るクセのようなものが祖母には染み付いていたようでした。

でも、多くの体験から得たものが祖母にはあったようで、私は亡くなって20年近くたった今でも、時おり祖母の話を思い出すことがあります。

祖母も早産していた

私が次女を妊娠したとき、長女に合わせて無理をしたせいか、早産の兆候が出てしまいました。飲み薬が処方されて、生活にも十分に注意をするように支持されました。もし、早産してしまったら、と思うと私は自分を責めずにはいられませんでした。そんなときに祖母が自分が早産してしまった経験を話してくれたのです。

妊娠7カ月で生まれてしまった女の子は、保育器などがない時代でしたが無事に成長したこと、妊娠8カ月よりも7カ月で生まれたことはかえってよかったといわれたこと(肺などの呼吸器ができる過程で、7カ月の方がよいと祖母は聞いたそうです)を話してくれました。

その子が少し大きくなった頃、第2次世界大戦中に空襲を受けて、おぶって逃げたけれど、あまりに慌てて、祖母は頭を下にしておぶってしまいました。気付いたときには何時間もたっていて、背中で死んでしまったかもしれないと覚悟をしたそうですが、おそるおそる下ろしたその子は泣きもせずにキョトンとしていたこともまるで昨日のことのように話してくれました。

祖母なりの励ましだったのかも

そしてその子が今でも唯一、元気で生きている次女(夫の叔母)なのだと祖母は私にいい、子どもには子どもの運があるんだといってくれました。

話を聞いたそのときは、私は素直に頷けませんでしたが(早産したら私のせいだという考えでいっぱいだったのです)、今思うと子どもには子どもの運があるんだから、自分を責めても仕方がないと祖母はいいたかったのかもしれません。祖母が出産した昭和10年代、早産したことは今よりももっと大変なことで、祖母ももしかすると、絶望していたのかもしれません。

祖母にはいろいろなことをいわれました。ときにはせっかく苦労して育てた、大切な孫を横取りされたといわれたことも…だから、いつもうまく行っていたというつもりもないし、大好きだったかといわれると少々自信がありません。でも、悪いことばかりではなかったし、いろいろな経験の蓄積から出た言葉には価値があったなと思います。

結婚しなければ、聞けなかった話

好きで結婚した相手のことだって、ずっと同じ気持ちで接することは難しいのに、その家族にまで真心を込めて向き合うのは本当に難しいことだと思いますが、結婚ということがなければ、祖母の話は決して聞けなかったことです。

だから、今となってはやっぱり結婚して間違いではなかったのかな~、とごく消極的に思っているわけです。

私は核家族で育ったため、お年寄りの話を聞く機会がほとんどありませんでした。だから、余計にこんなことを考えてしまうのかもしれません。祖母の話を何かの形にして残しておきたくて、今回記事にさせていただきました。

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