お別れのときに見る顔

白 蓮 タブー

近所のおばあさんが亡くなったので、納棺の前にお線香をあげに行きました。顔を見せてもらって、お別れをしてきましたが、私の知っていた頃のおばあさんとは印象が違っていました。

見慣れない顔だから、戸惑っても当たり前

大体私たちは人が横たわって、目をつぶっているときの顔をほとんど見ることがありません。子どもが成長してしまうと、寝顔を見ることもないはずです。

生きて動いているときの顔と、亡くなってしまった後では印象が違って当たり前ですが、おばあさんは痩せて小さくなり、口が開いているのが何だか苦しそうに感じられました。

でも、葬儀の会場で納棺してからの顔は生きていたときの印象を取り戻すことが多いようです。メイクをしてもらって、血色がよくなるし、表情も治してくれるようです(マッサージのようなことをするのではないかと思います。それくらい、表情が変わります)。

葬儀に参列した夫によれば、おばあさんも葬儀の会場では口を閉じて、穏やかでよい顔になっていたということなので、私もホッとしました。

穏やかな顔に救われる

私の母が亡くなったとき、当初はびっくりしたような顔だったのが、納棺してからは穏やかな微笑むような表情になり、ずいぶんと驚いた記憶があります。その上、母は髪の毛にカラーもしてもらいました。最後におしゃれができて、よかったな~、と思い、私もうれしくなりました。

葬儀に訪れる親族も、母の顔を見て「よい顔だったね」といってくれたのが、うれしかったです。母は若くして亡くなったわけではありませんが、やはり亡くなったときには、私にはいろいろと悔いが残っていました。何かもっとできることがあったのではないか、という後ろめたさもありました(母の病気に私はなかなか気付けなかったのです)。みなが母がよい顔をしているといってくれたことで、私の悔いや後ろめたさが軽くなったようでした。

最後の思い出が穏やかな顔だとうれしい

生きているときの印象を大切にしたまま、お別れができるのは、葬儀を出す親族にとっても、葬儀を訪れる人たちにとっても大切なことです。人が亡くなるのはすでに大変なことですから、それ以上、追い打ちをかけるようなことがあってはいけません。穏やかな顔の人とのお別れを可能にしている、現代の葬儀会社の仕事はすばらしいです。

今回、近所の方が亡くなったことで、久しぶりに母の葬儀のときのことを思い出しました。本当にありがたいと思っていたのに、葬儀の場でお礼をいうこともありませんでした(実家の母の葬儀だったので、支払いなどの後処理は私の弟がしてくれたのです)。ブログに書くことで、お礼になるとは思っていませんが、ありがたいと思ったことを忘れないでいることはできるでしょう。

葬儀を出した家では、もう普段どおりの生活が戻っているようです。おばあさんの最後の思い出が、穏やかな顔ならよかったとしみじみと思っています。

こんなことを書いていると、生きている人のことしか考えていないようですが、残された人たちは、思い出とともにこれからも生きていくわけです。穏やかな顔が胸の奥に残るならそれが一番です。私もなるべく穏やかな顔を記憶して、自然に人生の終わりを受け入れられるようになりたいと思っています。

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