先月に続いて、また夫の叔母から電話がかかってきました。これはとても珍しいことです。叔母はしゃべるのは好きですが、電話はあまり好きではないらしく、用事があるときしか使いませんし、ごく短時間で切ってしまいます。
感謝の気持ちを聞いていると、うれしくなる!
コロナ騒ぎで外出が制限されていて、どうにも暇を持て余しているようです。夫は早くに両親を亡くしているため、叔母は数少ない頼れる大人でした。夫の仕事も5月一杯は営業を自粛しているため、今は時間に余裕があります。会いに行こうと思えば行けますが、もう高齢者の仲間入りをしている叔母にもし何かあったらと考えると、それもできません。
叔母もそこはよくわかっているようで、誰にもおいでとはいえないし、自分も出かけるととはいえない、今は家でおとなしくしているしかない、といっていました。
普通よりは親しくしていましたが、やはり叔母さんなので、誕生日や母の日などは私もお祝いしたことがありませんでしたが(叔母には立派な息子が2人いて、それぞれ結婚して孫もいます)、先日の電話では無事に誕生日が迎えられたとうれしそうに語っていました。
みんなのおかげで、無事に80歳を迎えられたよ。本当にありがとう!
このうれしさと感謝の気持ちを誰でもよいから、伝えたかったということです。こういわれたら、何だか私までうれしくなりました。私も心からおめでとう、ということができました。この叔母の母は、夫の祖母で私たち家族と同じ敷地内に生活していましたが、ずいぶん晩年の様子は叔母とは違っていました。
叔母と祖母の違い
祖母は次々と自分と関係ある人々が先に亡くなってしまい、一緒に暮らしているのが孫たちだということで、常に孤独感を抱えていました。亡くなったのは88歳のとき(今から20年ほど前)でしたが、最後の誕生日にはお赤飯を捨ててしまいました。生きていたってどうしようもない、お赤飯なんてバカバカしいといっていました。自分だけがなぜこんなに不幸なのかという怒りにも似た思いが祖母を突き動かしていたのだと思います。
決して悪い人ではありませんでしたが、こんなことがあると素直に話しかけることができなくなりました。どんなことでまた地雷を踏んでしまうかわからないからです。そして結局、私たちとの距離は埋まらないまま(夫にいわせると一世代空いているのだから、距離があるのは当たり前だそうです)、祖母は亡くなってしまいました。
遺伝も環境も人格には関係なかった
祖母は叔母には厳しい母親だったそうです。祖母はお嫁に行ったのではなく、お婿さんをもらいましたが、その人は30代の若さで亡くなり、女手一つで3人の子どもたちを育てました。時代も時代だったし、厳しいのは仕方がなかったのかもしれませんが、叔母は子どもの頃、熱い火箸を持った祖母に追いかけられて、近所の家にかくまってもらったこともあったそうです。
それなのに、自分が誕生日を迎えただけで、周りの人に感謝の気持ちを伝えられる人間になったのですから、叔母には持って生まれたものがあったのでしょう。
電話で心が明るくなった!
長引く自粛生活の中で、ストレスが溜まっている人も多いでしょう。でも、1本の電話で人の心を明るくすることもできます。もう1度、それを教えてもらえて、とてもよかったです。
叔母とも、もう30年の付き合いになります。2年ほど前に、アルツハイマーの前の段階だと診断されましたが、それでも、年を重ねるごとに周りを明るくする力が強くなっているようです。すごい人は身近にいるものなのですね。