私の実家はもうなくなってしまいました。父も母も亡くなり、弟も結婚して新たな生活を始めたため、実家は処分されてしまいました。
最近は父や母のことを思い出すこともあまりなくなってきたので、思い出したことは少しでも書き留めようと思っています。最近思い出したのは、父の兄弟に対する気持ちについてです。
父はひしゃげた栗だったのか
父は昭和4年生まれ、広島県の忠海という海の近くの小さな町で育ちました。3人兄弟の次男だった父は兄弟の中でも勉強好きだったそうです。他の兄弟は中学を卒業してすぐに大阪で就職したのに、父は高校卒業後上京、アルバイトをしながら夜間の大学に通ったのです。
父が49歳のときに脳出血の発作を起こしたため、父の兄弟が見舞いに訪れたことがありました。そのとき、2人がそれぞれ私に同じことを言いました。
〇〇(父の名前)は兄弟の中でも勉強がよくできたから、特別扱いだったんだ。だから上京できたんだ。俺たちとは違うんだよ。
しかし、父が常日頃私に言っていたことは少し違いました。
兄貴と弟は親に可愛がられていたから、なるべく近いところで就職するように言われていたんだ。俺は次男だから東京に行きたいと言ったときも、金は出せないけどそれで良いなら行けばと即答されたんだよ。
父は3人兄弟の真ん中というのはイガに入った栗と同じだとも言っていました。両脇の栗はイガの中で大きく育ちますが、真ん中は両脇の実に押されてうまく育つことができません。真ん中の栗はひしゃげた小さな実になることが多いです。父は自分がひしゃげた小さな人間だと思っていたのでしょうか。
親は特別?
私からしてみると、最初は父も就職するようにと言っていた祖父が、大学に進学することを前提に高校にも入学させてくれたわけです。当時としてはこれは異例だったことでしょう。決して祖父が父のことをないがしろにしていたとは思えません。
それなのに父は60歳近くになっても栗のイガの話をしていました。そんなに親にどう思われていたかが気になるものかと、私は半ば呆れていました。
自分が結婚して子どもを生むと、父たちの話は私にとって、また別の意味を持つようになりました。子どもにとって親は特別な存在だということです。
親にとって子どもが複数いる場合でも、子どもにとっては父親(母親)は1人だけです。親が自分をどのように思っているかは、子どもの人生に大きく影響するのも当然なのかもしれません。
子育てはやはり大変な仕事
親は100%その子どもだけを見て生活することはできませんから、どんな子どももいくらかは親に対して、寂しさや不満を感じるのではないでしょうか。
すると急に子どもを生んで育てることの重さとか大変さが迫ってくるように思われました。子育ては、子どもが立派な大人になってもなお、寂しかった、辛かったと言われてしまう仕事なのです。いくら私は頑張ったと主張しても、子どもがどう受け取るかはわかりません。
父たち兄弟は私に、子育てには覚悟して向かえと教えてくれていたのかもしれません。それなのに私はあまりにも安易に子育てに向かい合っていたようです。今、自分が家族のことで悩むたびにそれを思わずにいられません。
というか、私が結婚する頃、社会にはそのような風潮があったように思います。女性なら子どもを生めばかわいいと思うはず、ちゃんと育てられるはずと安易に出産を促す人が多かったと感じています。それを真に受けて、早く結婚して出産しなくてはと考えてしまったのは、私だけではないはずです。