私が捨てたもの

タブー

私はものを大量に持っているわけではありません。
たまに近所の人が自宅を見ると、いつもものが少ないね、といってくれるくらいですが、そんな表面上はキレイにしている人ほど、思わぬものを持っているということをお知らせしたいと思います。

洋服もおもちゃも処分したけど

小さな子どもを育てていると、ものが家にあふれてくる時期があるのではないでしょうか。
子供服だって、誰かにお古としてあげられるかもしれない、飽きたおもちゃはもう1度活躍するときがあるかもしれない、こんなふうに考えて簡単には捨てられないときがあります。

我が家もそんな時期がありました。でも、ある程度は時間が解決してくれました。娘たちが小学生のときの洋服を中学生になってもとっておくようなことはありませんでした。おもちゃも小学校の高学年になると、大抵のものはもう処分しようという気持ちになれました。

中には捨てるときに心が痛むものもありました。人形やぬいぐるみなど、顔のついているものはまるで生き物を捨てるような気がして、本当に嫌でしたが、頑張って自分で捨てました。誰かにあげるのは、ものを大切にしているようで、実は責任をなすりつけているように感じたからです。苦しくても、自分で捨てれば、この後余計なものを家の中に入れなくなるのではないかと期待して、私は家とゴミ捨て場を往復しました。

そこまで頑張った私が中々捨てられなかったものは、娘たちの乳歯です。
虫歯が多かった私は娘たちの歯は守りたくて、仕上げ磨きを欠かしませんでした。どんなに嫌がられても、周りからかわいそうだといわれても、それだけは決して譲りませんでした。
次女には成人後、軽い虫歯ができてしまいましたが、長女は26歳の現在も虫歯0のままです。

自分にはないキレイな歯が宝物だった

そんな娘たちの歯が抜けたとき、娘たちのためによく頑張ってくれたという思いがありました。また、小さくてもキラキラと乳白色に輝いている姿を見て、とても捨てられなくなってしまったのです。歯医者さんでもらった歯の形のケースに入れてまるで宝物のようにしまっていましたが、何しろ2人の娘の抜けた歯をすべてとっておいたところ、すごい数になってしまいました。

たくさんの歯がケースに収まっている様子は、もはや宝物ではなく、ホラーのような雰囲気を漂わせるようになりました。でも、捨てるに捨てられず、私はしまい込んであるのをよいことに、たくさんの乳歯をなかったことにして、表面上は忘れていました。

私が見つけた処分方法は?

でも、結局そのままにしておくのも、かわいそうになりました。
でも、ゴミとして捨てるのも忍びないので、庭に埋めることを思いつきました。これは誰かのブログに書いてあったわけではなく、自然に頭の中に浮かんだ方法でした。
捨てるのではなく、埋葬するならなんだか自分でも納得できるような気がしました。

私が母から持たされたへその緒と一緒に娘たちの歯は、草むしりのついでに庭に埋められました。へその緒も、あれは産んだ母にとっての思い出なのでしょう。渡されても、私はどうしたらよいのかわかりませんでしたし、何の感慨もありませんでした。

やっとのことで乳歯を処分したとき、娘たちはすでに成人していましたから、私はつい最近まで大切に乳歯をしまっていたわけです。今となっては、乳歯をしまっていた自分のことを自分でも怪しいと思っています。乳歯もへその緒も、今手元にないことをなんとも思っていません。

何かあったらまた、庭に埋めるかも

思い出の品はなくても大丈夫、というお話でした。
まあ、乳歯をとっておくような(それも何十個も)人はそんなにいないかもしれませんね。
娘たちは自分たちのへその緒も、捨ててよいといっていますが、そちらはまだ吹っ切れていないので捨てていません。もし処分するなら、また庭に埋葬しようかと思っています。

庭に埋めるのは、なかなかよい方法だったと思っています。
ちなみに子どものおもちゃは、幼稚園などに申し出ると喜んでもらってくれる場合があります。
ぬいぐるみなどは、劣化が激しいのでありがたいといってもらった経験もあります。ただ、我が家の場合はそれでは処分しきれないほども量があったのです。

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