今年は何事もなく新年を迎えたと思いましたが、昨日ご近所の方が亡くなったと知らされました。我が家が現在住んでいる家を建てて引っ越してきたのは、ちょうど30年前です。
引っ越したばかりの頃の親切を忘れない
その頃、現在の私と同年代だった方々は80代以上になっているわけです。亡くなっても仕方がありませんが、やはり次々と亡くなるのを目の当たりにすると、寂しい気持ちになります。
今回亡くなったのは夫の幼馴染のお母さんです。私たちが引っ越してきた頃、まだ彼女の息子家族は一緒に住んでいませんでした。いずれ息子たちが帰ってくるとわかっていたため、私たちのことも他人事に思えなかったのでしょう。
忘れられないのは、何か用事があって訪ねていったときに、豪華な段飾りのお雛様が飾ってあったことです。それを私がキレイですねと言ったら、お母さんは「お雛様だから、ちらし寿司を作ったのよ。持って行ってちょうだい」と言ってくれました。
私はまだ1歳だった長女の手を引いており、2人で「お寿司、嬉しいね~」と言いながら家に持ち帰って、食べました。
次女を妊娠したとき、お母さんに走っているところを見られ、静かに「走っちゃダメよ。転んだら危ないからね」と言われたのも、まるで自分の母親に言われているような温かい感覚があり、ちょっと嬉しかったです。
考えると寂しいが
もう、10年以上も前にお母さんは自宅で足を骨折。入院しましたが、そのまま施設に入所となりました。まったくお会いする機会もないまま、昨日亡くなったことだけを知らされて、何だかまだ実感がありません。
こうしてみると、特に親しい関係でなくても、ご近所さんが亡くなると思い出があることがわかります。しかし、死なない人はいませんから、そのうち私よりも年長の方は大方いなくなってしまうのでしょう。
長生きをするということは、知っている人が皆自分よりも先に亡くなってしまうことです。自分が一人になってしまうかもしれませんが、そのときの寂しさを周りにいる自分よりもうんと若い家族はわかってくれません。
今考えると夫の祖母も、かなり寂しかったようですが、その寂しさを私や夫は理解してあげられませんでした。今の私なら、わかってあげられるから、話ももっと親身になって聞くのにな…と思いますが、もう遅いですね。
これから打ち合わせに行ってきます
私はまだこれから60代に突入するところです。私の寂しい気持ちなど、きっとまだまだ序の口なのでしょう。そんなことを考えながらですが、この後打ち合わせに行ってきます。
私が住んでいる地域では、同じ自治会の班で亡くなった方が出ると、お手伝いをすることになっています。もう、葬儀は自宅以外の会場で行うことが多いため、以前のようにお勝手の手伝いなどは不要になっているのですが、それでも打ち合わせだけはするようです。
まあ、受付やお坊さんを寺から会場まで送迎する係が必要だったりするので、打ち合わせまで不要というわけではないようですが…それにしても、昨年から葬儀が続いています。