昨年の夏、夫の遠縁の女性が亡くなりました。
70代の中頃でしたが、趣味が多い人で元気に過ごしていたのに、あまりにも突然亡くなってしまったために家族、とくに女性の夫のショックは大きいようでした。
先日、女性の夫と久しぶりに顔を合わせる機会があり、夫婦どちらかが先に亡くなること(まあ、それが普通ですよね。一緒に亡くなるのは稀でしょう)の大変さを実感したような気がしています。
四十九日法要の席で女性の夫は…
顔を合わせる機会とはご近所さんの四十九日法要です。昨年の夏から我が家が住んでいる地区では不幸が続いています。同年代の方が多いと、いつかはこんなことになると思っていましたが、いざ本当になるとやはりふところも傷むし、気持ちも沈みます。
女性の夫はやっと生活が落ち着きを取り戻した矢先に、また喪服を着ることになり、複雑な心境に鳴ったのだと思います。
今回の四十九日法要では、お寺で法要を行った後、地区の共同墓地に行って納骨、そして店に場所を移して食事をするという流れでしたが、女性の夫はとうとう墓地には足を運びませんでした。辛くなるので墓地には行きたくないと言うのです。
その気持ちがわかるような気もしましたが、女性は別にいつも墓地に居たわけではありません。2人で生活をともにしていた自宅こそ、思い出がたくさんあって男性には辛いのではないでしょうか。
そこはどうなんだろう…と思いましたが、墓地に行きたくないという女性の夫を咎める人は誰もいませんでした。
法要後の食事でも
女性の夫は婿に入った人でしたが、地域のために精一杯の活動をしていました。自治会長も務めたのですが、食事の際は私の向かいの席で「自治会なんかなくなればいい!年寄は自治会がなくても何も困らない」と何度も言います。
私だって自治会はなければないで、楽だろうなと思いますが、ご近所さんの四十九日法要にはいろいろな立場の人がいます。自治会がない方が良いという意見に不安になる人もいるかもしれません。
何となくお茶を濁すようなはっきりしない返事をしていると、女性の夫はますますヒートアップして「自治会は潰した方が良いんだ」と言い出しました。自分のやってきたことを否定するような言い方に、私はどうしてもどこにもぶつけようのない思いを感じてしまいました。
今後は落ち着くのか?
女性の夫の人が変わったかのような話しぶりに、少々不安を覚えるほどでしたが、これは時間とともに落ち着くのでしょうか。まあ、ご近所と言えども、普段はそれほど顔を合わせていませんから、久しぶりに会うと変わったと思ってしまうのかもしれませんね。
今はきっと妻を亡くした悲しみに抵抗する気持ちがあって、いろいろと言っているのでしょう。今後それが落ち着いたときに、もっと悲しさが押し寄せて来ないことを祈っています。
夫にこのことを話すと、「男性の方が配偶者が亡くなったときのショックが大きいのかもしれないな…」と珍しくしみじみと語っていました。そうなんですかね?ただ、これは誰にとっても他人事ではないですね。
そう言えば4年前にもご近所さんの四十九日法要で、倒れた男性がいました。
こういうときには、いろいろなことがあるのかもしれませんね。