我が家の次女は引きこもりになって8年が経ちます。
この次女が時折私に対して「もう少し、私を厳しく教育してくれたら良かったのに」と言います。つい先日も言われて、何だか落ち込んでしまいました。
厳しく教育してくれたら、こんな状況(引きこもりのまま8年も生きること)ではなかったそうです。私としては、大変不本意です。
子どもに押し付けをするまいと思っていたら
教育、すなわち理想とする人間像に近づくためにどんなことをするか、ですが、私はこれは子どもが自分で考えるべきだと思っています。「〇〇になりたいから、そのために学校に行きたい」と子どもの方から希望して、親がサポートするのが基本だと思っていました。
もし、子どもに特に希望がない場合は、どんな方向へ進むかを決められるように、高校に進学をする必要があるでしょう。ですから高校を卒業するまでは親が責任を持つべきだと私も思います。
親の方から子どもに絶対に〇〇高校へ行けだの、将来は〇〇(職業)に就けだのと言うのは押し付けだと思っていたので(実際に自分がされてすごく嫌だった)、それだけはするまいと思っていたのです。
それを次女に放任のように言われて、何だか落ち込んだと言うわけです。実際は次女にあまりにやる気がなく(受験する高校すら次女は自分で決められなかった)、この高校なんて良いんじゃないかな、とアドバイスはしました。
次女の返事は一言「じゃあ、そこでいい」でした。
私が言うことは相手にしなかった次女
高校生活が終わりに近づいても次女は変わりませんでした。推薦で大学に進学できることになりましたが、私は不安でした。次女が不得意な英語教育に力を入れている学部だったからです。不安を口にする私に次女はこう言ったのです。
この大学が駄目なら私はどこへ行けばいいの?私が行ける場所なんて、これくらいしかないんだから、仕方がないでしょ。
今思うと単に次女は高校を卒業してすぐに就職をするのが嫌だっただけですね。次女が進学した高校は受験時の成績別にクラスを分けています。次女が入ったクラスは良い成績のクラスではなかったため、その中では最も良い成績を取ることができました。
当然、教師は進学を期待します。下のクラスの生徒がまあまあの大学に進学できれば、教師の実績になるからでしょう。次女にもそれなりの言葉をかけますから、すっかりその気になってしまったようです。単に自分で自分の進路を決められなかったとも言えますが…
引きこもりになるべくしてなったのに
結局、次女は私の言うことなどに聞く耳を持ちませんでした。大学進学は見事に失敗。講義は何を言っているかほとんど理解できなかったようです。そんなとき、誰かと話をすれば「そうだね、難しいよね」などという会話から、理解できないのは自分だけではないと思えたかもしれません。
もともと人と付き合うのが極端に苦手な次女はそれもできず、大学に行けなくなるのは時間の問題だったのです。大学を中退したことが次女の引きこもりのきっかけになりましたが、決してそれだけが原因とは思いません。
幼い頃からの気質、もしかすると以前メンタルクリニックの医師に言われたように、発達障害が原因で起こっている気分障害が引きこもりの原因なのかもしれません。まあ、産んだのが私ですから、次女の気質は私が原因と言えなくもありませんが。
ただ、次女の言葉「もう少し、私を厳しく教育してくれたら良かったのに」というのは、あまりにも責任転嫁がすぎるような気がしました。はっきり言うと『都合の悪いことは全部人のせいにするな』とまで思ったのです。
次女はどうなるのかな
都合の悪いことは全部人のせいにして(病気のせいにしていることも)、ずっと社会経験もせずに生きていて、この先次女はどうなるのでしょうか。引きこもったりコミュニケーションを取れないのは、個人差があると思います。
例えば誰でも無口な人にいきなり喋れとは言えないでしょう。それは個人差として認めるべきだと思います。しかし、都合の悪いことを全部人のせいにするというのは、認め難いのではないでしょうか。
実際に自分のせいにされると、予想以上に悲しく情けなくなりました。そしてその後静かに怒りが湧いてきたのです。次女はこれからもっと独りよがりの人間になってしまうのか、私は心配です。