仮面 生活

人が他者の顔を記憶するとき、その記憶は揺るぎないものではないそうです。容易に上書きされやすいので、事件の目撃者の証言は当てにならないことも多いということです。昨夜見たNHK・BSの「ダークナイトミステリー」でこんなことを言っていました。私には思い当たる節があります。

父は美肌だった?

私の父は73歳で亡くなりましたが、母は「お父さんの顔にはシミが1つもなかった」とよく口にしていました。顔どころか、体にもシミはなかったので、よく母は「お前はシミが多いな~」と言われたそうです。

ところが私にその記憶はありません。父の顔はもちろんハッキリと覚えていますが、いくら考えても顔にシミがあったのかなかったのか、わかりません。父は一般的な老人以上でも以下でもなかったとしか思えないのです。

真剣に見ていたはずなのに

親の顔なんてそうマジマジと見るものではないと考える人もいるでしょうが、私は本気で穴の開くほど父の顔を見たことがあります。

1度目は父が脳卒中の発作で倒れたときで、父は49歳、私は14歳でした。父は命が危ない、今夜がヤマだと言われました。私は父の顔を見て、大丈夫だ、父は死なないという希望を感じることができました。まだ14歳だった私は父の顔には生命感があると確信したのです。

2度目は父が亡くなる直前に、再び脳から大量の出血をしたときでした。父は73歳になっていましたが、一般的にはまだ亡くなる年齢ではなかったので、望みを探すために私は父の顔を眺めました。でも、私は父の顔から生命感を探すことはできませんでした。もうダメなんだと思うとともに、24年間父は頑張ったのだからもうこれで良いのだとも思いました。そこまで真剣に顔を眺めたのに、シミがあったかどうかはわかりません。

これらの体験から私は、眺める人の思いによって、顔は左右されるものではないかと思うようになりました。

顔が一番ではなかった?

顔に対する記憶が自分の思いによって左右されるなら、後から心が揺らぐことで記憶が上書きされても不思議ではありません。強くこの人だったでしょ、と言われたら実は見ていない人の顔を見たのだと思うのかもしれません。顔に対する記憶がこれほど曖昧なものなら、顔が覚えられない、見分けられない人がいるのも不思議ではないように思います。

人が他者を識別するために、顔が最も役に立っているようですが、実はそれだけではないのかもしれません。声や喋り方、仕草などもその人らしさを出すためには必要なことですから、それらが加わって始めて私たちは好きだとか嫌いだとか判定をしているのではないでしょうか。

それだけ色々な要素が必要だから、文字だけのコミュニケーションであるメールなどは、誤解が多くなっても仕方がないのでしょう。

私くらいの年齢になると、鏡を見る度に不愉快になりますが、顔だけが大切ではないとわかったのですから、これからもっと楽しく生きていけばよいわけです。何しろシミ1つなかった父の肌を私は全く覚えていないのですから、肌なんて小さなことなのです。後は自分の気持ち次第なのでしょう(肌なんて、関係ないとはなかなか思い切れません…)。

タイトルとURLをコピーしました