何のために携帯電話を持つのか

携帯電話 生活

最初に携帯電話を持ったのは、今から20年近く前のことでした。私の父がガンで入院したため、いつでも連絡がつくように、携帯電話を買おう、と夫がいい出したのです。

すぐに連絡をしたい!

その少し前、私たちが住んでいた夫の実家には夫の祖母とその姉も一緒に暮らしていました(私たちは同じ敷地内に家を建てて住んでいました)。近所には年を取った親戚もいましたから何回かお葬式を出すことになり、夫の勤め先に電話をしなくてはならないこともありました。

夫はスーパーを回る配送の仕事をしてましたが、私の電話を取ってくれた社員の人は、1回外に出てしまった人に連絡するのは難しいと、困っていました。夫も何回もこんなことがあると困るといわれたようで、それなら遠慮が要らない携帯電話を持っていれば、いつでも連絡がつくから好都合だと思ったようです。

その頃はまだ子どもが幼くて、公園や児童館などに毎日のように出かけていた私も、一緒に携帯電話を購入しました。でも、これですべて解決したわけではありませんでした。

携帯電話があっても、間に合わないこともある

結局父が亡くなったのは、携帯電話を持つようになってから、何年も後のことでしたが、特に携帯電話があったからといって、役に立ったわけではありませんでした。父は亡くなる直前に個室に入りましたが、気が動転した母は、父が亡くなってから我が家の固定電話に電話をして来ました。「お父さんの心電図が平らになってしまった。どうしたらよい?」と聞かれて、「早くナースコールをして」とだけいって私と夫は病院に急いだのです。

たとえ携帯電話があっても、それを使うのは人間ですから、人間ができる以上のことを望んでも無理だということでしょう。母が亡くなる前には、毎晩携帯電話を枕元に置いて、備えましたが、とても気のつく看護師さんが、亡くなる前日に今晩は泊まった方がよいと思います、といってくれたために、携帯電話を使うことなく、母を無事に見送ることができました。

携帯電話を持つ目的が無くなった

父のことは母が見送ったので、母のことは私が見送らなくては、と強く思っていましたが、今では見送るというのは生き残った人間のためにするような気がしています。そんなに見送るということにこだわらなくてもよかったのかもしれません。

そう考えると、私にとっては携帯電話を持つことの目的が無くなってしまいました。安全のために、携帯電話を持っていた方がよいと思っている人もいるでしょうが、本当に危ないときに自分で携帯電話を使える人はそんなにいないと思います。

娘たちも、こんなときには電話すればよいのに、と思うときには、電話をすることは頭に浮かばなかったようでした。危ないときは、携帯電話で家族に連絡をするよりも、自分自身がその場を離れる、すぐ側にいる人に助けを求めるなどの対処をする方が重要だと思います。

次に携帯電話を持つのはどんなとき?

私は現在、子どもが学校を卒業したため学校関係(役員など)で出かけることはなくなりました。外でわざわざ誰かと連絡を取る必要はなくなりました。緊急の連絡が入ることも、まずありません。決してないとはいい切れませんが、自宅に1台固定電話があれば、用は済むはずです。

私も携帯電話を持っていた頃は、立ち上げる時間がかからないので、ちょっとした調べ物をしたり、誰かのブログを読んだりと、通話はしなくても毎日のように使っていました。でも、今考えるとそれは私にとっておもちゃのような存在だったと思います。

おもちゃはなくても何とかなります。逆に今度私が携帯電話を必要とするときは、一体どんなときなんだろうと興味深く思っています。

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