お盆の前にお寺に支払いに行ったら、お箸をいただいて気持ちがピリッとした話

お箸 生活

お寺からお箸をいただきました。我が家が檀家になっている曹洞宗のお寺です。

お盆が近づいてくると、お寺から集金の人が来ます。毎年、護持会費・塔婆供養代・盆子という名目で支払いをします。名目が3つもあるわけですから、結構な出費になります。その領収書代わりと言ってはなんですが、毎年ちょっとしたものをいただきます。

独身時代はお寺には縁がなかったため、お寺から何かをいただくというのが、私にはとても興味深いことなのです。

今年の領収書はお箸

過去にはお寺の名前と紋が染め抜かれた手ぬぐいや、袋入りのすりごまをいただいたことがありました。今年はそれがお箸だったのです。輪島塗のお箸でいろは漆塗り特有の赤、箸が入っていた袋には三心箸と書かれていました。

何のことだかよくわからなかったので、早速調べてみると「三心」とは曹洞宗では、料理をするときの心構えのことを指していました。「喜心・老心・大心」この3つのことを合わせて三心というわけです。

仏教に料理の心構えが存在した!

  • 喜心は目の前に食材としての命があり、それを料理ができる喜び
  • 老心は慈悲の心。子や孫を愛するような心で料理をすること
  • 大心は広く寛大な心。相手のことを思いやる心で料理をすること

相手のことを子や孫のように思い、愛情を持って料理をする、そして料理ができることを喜んで感謝を忘れないことが料理をする上での心構えということのようです。曹洞宗では料理は立派な修行であり、寺院内の食事を取り仕切る典座(てんぞ)という名前の役職まであります。毎日食事を作る方は、家族のためだけでなく、自分自身の修行にもなっていたわけです。

お箸をいただいたことで、料理に対する気持ちがちょっとピリッとしたのは事実です。最近急に暑くなったため、それでなくても義務感だけでダラダラと料理をしていたのですが、コツンとやられた気がします。

ただ、ラクに短時間で料理することばかりを考えていては、これから先がまだまだ長いのに、乗り切っていけないかもしれません。

相手のことを思うのはもちろんですが、食材のことも考えてあげないといけないのかな~、と私は思いました。どうすれば一番おいしく味わえるのか、と考えなくては料理の発展もないでしょう(まあ、それができるかどうかはまた別の話です)。

私は私のことばかり(暑くて嫌だとか、面倒だとか)考えていたようです。

一生修行は厳しいな

それにしても私は一生掃除をして、料理をして修行をしながら人生をまっとうするのでしょうか。何だか厳しいな~、と思いますが、何か前世からの因縁があるのでしょうか。

お箸は家族の誰も要らないと言っています。確かにお寺からいただいたというだけで、ちょっと引いてしまうところはあるでしょう。でも、持った感じはとても良いのです。軽いし、手に馴染むし、使いやすい予感がします。きっと私が使うことになると思います。これで、食事のたびに料理への心構えを新しくすることができるのかもしれません。

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