昨夜はBS朝日で放送している「ウチ、”断舎離”しました!」を見ました。この番組を見ていると、毎回私は2つの思いが同時に湧いてくるのをどうすることもできません。
1つは自分も不要なものを捨ててスッキリしたいという前向きな気持ち、もう1つは画面からヒシヒシと伝わってくる思い入れのあるものを捨てる苦しい気持ちです。
私はもともとものを溜め込んでいるわけではありません。タンスはスカスカだし、化粧品の類もほとんど所有していません。本も変色して、いかにも虫が湧きそうなので大半を処分してしまいました。しかし、こんな私でも不要品をすべて捨てて心が傷まないわけではないのです。
私が捨てられない意外なもの
現に他人が見たらなぜ?と思うようなものを私は20年以上にわたって持ち続けています。それが写真のぬいぐるみです。それもわざわざ購入したものではなく、クレーンゲームの景品ですが、これは私の亡くなった父がデイサービスに通っていた頃、みんなでレクリエーションとして出かけた先のゲームセンターで獲得したものです。
母が「そんなの獲ってきて、どうするの?」と聞いたところ、父は満面の笑みを浮かべて答えたそうです。
孫にあげるんだ!きっと喜ぶよ。
49歳のときに脳出血で倒れた父はずっと半身麻痺と言語障害の後遺症に悩まされ、60代になってすぐに自分よりもずっと年上の人たちと一緒にデイサービスに通うことになりました。クレーンゲームもリハビリの一環として行ったもので、父も周りの人たちも本当にぬいぐるみが穫れるとは思っていなかったようです。
それだけに嬉しさも大きかったのでしょう。私は頑張って獲ったぬいぐるみを孫にあげたいと思った父の気持ちが嬉しかったし、何だか父がいじらしいような気持ちにもなりました。
実はこのぬいぐるみ、娘たちには今ひとつウケが悪く、遊んでいるところも見たことがありません。何一つものを捨てられない長女ですら、このぬいぐるみを欲しいとは言わなかったのです。しかし、父が亡くなった後、私はこのぬいぐるみを余計に捨てることができなくなりました。
今でも私と夫の寝る部屋にぬいぐるみを飾っています。毎日掃除のときには手に取りますが(別にかわいがっているわけではなく、ホコリを払うためです)、父はこんな顔をしていたような気になってきました。
いずれは自分の手で捨てるだろう
これは私以外の人が見れば、ただの古いぬいぐるみです。大きなものではないし、私が死んだとしてもこれがあるから誰かに迷惑をかけるとは思えません。だからずっと持っていても差し支えないのですが、多分私はいずれ自分の手でこれを捨てると思います。
私がこのぬいぐるみを捨てるとき、悲しい思いをするでしょう。ゴミ捨てではなくお別れの儀式になると思います。しかし他の人にとっては、その他たくさんのゴミと一緒です。私はこのぬいぐるみをただのゴミにするのが嫌なのです。だから、他の人に捨てられるくらいなら、自分のこの手で捨てたいと思っています(と思いながら、20年以上も経ってしまったわけですが…)。
私にとってのぬいぐるみのような存在がたくさんあると、「ウチ、”断舎離”しました!」に登場するご家庭のようになってしまうのでしょう。昨日の人も含め、あの番組に登場する人はみんなどこか辛そうに見えます。捨てられないものって、きっと何か理由があるのだと思います。