長女を妊娠して8カ月目まで働いた以外は、基本ずっと専業主婦でやってきましたが、2015年に1度だけパートで働いた経験があります。
夫の言葉で、パートを始める
2015年とはっきりと覚えているのは、その年に実家の母の具合が悪くなり、あっという間に亡くなってしまったからです。パートをした理由は、夫にせめてお前が働いて税金ぐらいは払ってくれたらな~、といわれたことです(我が家は先祖から引き継いだ土地があるため、固定資産税がかかるのです)。
何だか売り言葉に買い言葉という感じがしますが、50歳を過ぎたこともあって、働くならこれが最後のチャンスかもしれないとも考えました。私の人生の中では、いわれて最初は嫌だと思っても、後から考えたら、いってもらってよかった言葉があります。夫の言葉もそうなのかもしれないと思いました。夫の言葉から、私にも家庭以外に居場所ができるかもしれません。なかなか仕事がないだろうと思っていたら、2つ目の面接で合格しました。
やったのはこんなこと
私が合格したのは、中古の書籍やDVDを客の注文書の通りに、倉庫の中でピックアップした後に梱包して発送するという仕事でした。これを自分のペースでやっていてはだめで、なるべく早く行うために最初は自分で時間を測ってくださいといわれました。測った時間は注文書の隅に担当者の名前とともに記入するのです。
これが思ったようにいかず、時間を測って記入をするために、かえって時間がかかることになる始末でした。自分のピックアップにかかる時間は、かなり遅いのだろうと思ってはいました。時間がかかるために、倉庫の中に取り残されたこともあります(ピックアップが終わると、倉庫から移動して梱包作業に移ります)。仕事中に遅いよ、とか早く、などといわれることはありませんでしたが、私は自分が遅い、と思った瞬間に滝のような汗をかくようになってしまいました。
辞めると決意した瞬間
仕事先ではパートとアルバイトの従業員に大して定期的に面接を行います。そこで私はもう少し、作業を早くして欲しいといわれました。最初はわかりました、努力しますと返事をしたのですが、気になってこう聞いてみました。
努力すれば、ピックアップにかかる時間は早くなりますか?
返事は次のようなものでした。
ムダでしょうね。早くできる人は、最初の2週間くらいでできるようになります。それ以上はその人の資質なので、そんなに変わりません
それを聞いて私はがっかりするよりも、納得しました。これ以上やっていても、仕事が早くできるようにはならないだろうな、と自分でも考えていたからです。家族以外の人と話すのが、結構楽しかった(自分がどう思われていたかは知らないし、考えたくないです)職場ですが、私は半年足らずで初めてのパートを辞める決意をして、その場ですぐに伝えました。
先輩のパートの女性は、仕事を教えても、みんなすぐに辞めてしまうので、教え甲斐がない、といっていました。その矢先に、私が仕事を辞めることになり、本当に申し訳なかったし、間が悪かったと思っています。パートの従業員が新人に仕事を教えるのは、多くの場合はまったくの無報酬、ボランティアのようなものです。自分の仕事の時間をけずって教えて、すぐに辞められるのでは、本当にやっていられないでしょう…。
辞めるまでが長かった
間が悪いといえば、パートであってもすぐに辞めることはできませんよ、といわれてしまい、辞めると伝えてから1カ月も仕事にいったことです。間が悪い上にバツも悪く、何だか恥ずかしかったです。
この頃から母がおかしなことを口にするようになり、私は毎日のように母の元に通うようになりました。だから、パートを辞めるにはちょうどよい時期だったのだと、自分を納得させました。
どんな経験も役に立つかな?
この後、母は亡くなり、次女は大学を中退して引きこもりとなり、私の生活も気持ちもかなり変わってしまいました。何だかホロ苦い体験になってしまった初めてのパートでしたが、今でも仕事先があった方角へはなかなか足が向きません。
だから私は、長い間同じところでパートを続けている方を本当に尊敬します。パートを辞めた後に、私は自宅でできる仕事について真剣に考えるようになりました。私のパート体験も実は自分の役に立っているならよいのですが、今はまだ何ともいえません。