タイトルに惹かれて、こんな記事を読みました。
記事を書いているのは、53歳の女性ですが、つい先日、この方の自宅の向かいの家に救急車が停まったそうです。この方は自宅2階から様子を見ることはしましたが、わざわざ外に出ようとはしませんでした。
救急車を呼んだ家の方が気を使わないようにとの配慮でしたが、別のご近所さんたちは様子を見るために外に出たそうです。記事を書いた方は、一体どちらの対応が良かったのかと迷われているふうでした。
我が家の前にも救急車が停まった!
この記事を読んで、我が家でも最近同じようなことがあったと思い出しました(日付ははっきりしませんが、まだ1ヶ月経っていないと思います)。
その日、まだ朝の9時ごろだったのですが、救急車のサイレンがやけに近いと思っていたら、我が家の目の前に停まったのです。外に出ようかどうしようかと迷いましたが、どこの家に何があったのかという心配で、結局は外に出て様子を伺いました。
結果的には我が家の向かいの家の住人である奥さんが旦那さんに付き添われ、自力で歩いて救急車に乗り込むのが見えたので、そこで様子見は終了となりました。自力で歩けることから、それほど重大なことではないし、事件や事故の可能性もないのではないかと感じたからです。
私はお向かいのご夫婦に見えないように、そっと家の中に入りました。やはり、様子を伺われていると思ったら良い気持ちはしないだろうし、心配をかけたと思ったら気をつかうでしょう。
なぜ様子を伺うのか
我が家が住んでいる地域では昔から、誰かが入院すると自治会の班で集まってお見舞いに行くのが慣例でした。そのため、救急車などが来るとかなり真剣に皆が外に出て様子を伺っていたのです。最近ではコロナのせいもあり、お見舞いの習慣は薄れてきましたが、住んでいる人の意識はそれほど変わりがありません。
また、これは全国共通なのかわかりませんが、我が家地域では救急車と消防車が必ずセットになってやって来ます。ですから、サイレンの音だけでは事件・事故・火事なのか、それとも急病なのかの判断がつきません。
様子を伺うことで、早めの危険回避をしたいと考えています。もしかすると避難の必要があるかもしれませんから…
実はどちらでも良い?
ただ、我が家も今年の正月早々に救急車を呼んだ経験があります。そのときにもし、誰かが様子を見ていたとなれば、確かに気を使ったかもしれません。
まあ、そのときに誰が見ていたか見ていなかったか、実は私は何も覚えていないのです。それだけ、救急車を呼ぶということは、切羽詰まった状況であり、自分の無我夢中になっているのでしょう。
救急車が停まったときに、外に出ても出なくても実はどちらでも良いのかもしれませんね。当の本人たちは、見られたのか見られなかったのか、そんなことはわかっていないかもしれませんし、もしわかっていたとしても、そんなのどちらでも良いと思っていることでしょうから。
搬送された奥さんは…
向かいの家の奥さんは別に入院をすることもありませんでした。私は奥さんが救急車に乗り込むときの様子に見覚えがありました。脇腹の辺りを痛そうに押さえる様子ですが、これがかつての夫にそっくりだったのです。
『もしかすると、尿路結石?』こう思いましたが、その通りだったようです。この病気はものすごい激痛に襲われて、苦しみますが、結石が腎臓から尿管を通って落ちる間だけ、痛みます。結石が落ちれば、痛みは嘘のように収まりますから、救急車が到着するまでに痛みが落ち着くことが多いのです。
私の夫もそれで2回も救急車を呼びました。
2回目は尿路結石だろうと見当がついたので、救急車を呼ぶのをためらったのですが、夫が大声で「こんなの我慢できない!救急車を呼べ~!」と騒ぐので、申し訳ない思いで呼びました。それくらい、尿路結石の痛みはひどいようです。
夫の経験から、尿路結石の痛みはひどくても、命に関わりがないことがわかっているので、私の様子見も早々に終了したというわけです。心の中で『お気の毒に。お大事にしてください』とつぶやきながら。
確か女性で結石ができるのは、少数派だと聞きました。もし、奥さんとお話する機会があるなら、どんな感じか聞いてみたい気がします。