先日こんな記事を書きました。
そうしたら、時期を同じくして、「全然丁寧じゃない暮らし」のseyakate910さんが同じような内容の記事を書いていました。記事はこちらです。「汚いものを見たい、臭いものを嗅ぎたいという変態的好みの話」
ベテランも書くことがなくなる?
seyakate910さんのブログはとても楽しいので、数年前から読んでいますが、今ブログを見たら2016年から記事が始まっています(多分それ以前から別ブログを書いていらっしゃると思います)。
最近は2人のお子さんの育児と家事、仕事でとても忙しそうな毎日を送っていらっしゃるようですが、この記事では、もうブログのネタがないと書いていました。
ネットなどで調べると、ブログを始めた人の多くが3カ月で脱落することが多いそうです。1年続くのは全体の1割だと言っている人もいるくらいです。seyakate910さんは選ばれたブロガーであり、ベテランです。
ところがそんな人もブログに書くことがもう、見つからないという状況に陥ることがあるというのです。私はちょっと親近感を覚えました。そして、書くことがないという状況について考えてみました。
人のことを考えすぎると書けない
私も書くことがないと思うことがありますが、それは本当に何もネタがないというのとは少し違います。書いても読む人にどう思われるか、と考えてしまい、書くことをためらってしまうのです。
ブログは自分のために書いているとわかっていても、あまりにも読んでもらえないとがっかりしてしまうので、こんなことを考えてしまいます。
また、日常の一コマを描くだけでなく、不満や怒りをブログにぶつけることもよく行われていると思います。
直接相手に負の感情をぶつけるよりは、ブログに書いた方が、人間関係が平和に保たれるでしょう。自分は負の感情を吐き出して、楽になれるだろうし、後から読み返すと俯瞰で自分というものを眺める助けにもなります。
しかし、一歩間違うと文章に込められた毒は読む人を蝕みます。私はとても面白く読んでいたにも関わらず、なぜか途中で読むのを辞めてしまうブログがあります。胸苦しくなって読み続けられなくなるのです。
自分のブログを読んでくれる人に、そんな思いはさせられないと思うと、感情に任せて書こうと思っていた記事が書けなくなってしまうことがあります。
先ばかり見つめていると書けない
一方忙しくてブログが書けない人は、日常の些細なことに気を向ける時間がないのだと思います。
子どもに早く夕ご飯を食べさせて、お風呂に入れてなどと考えていると、現在を見つめることは難しくなります(他にもいろいろな状況で、忙しい人がいるでしょう)。常に先を見越して行動することが必要になるからです。
きっと本当は記事にできることが周りにゴロゴロしているのに、それを一々すくい上げて、記事にする一手間がかけられないのです。
果たしてブログは続くのか?
それではどうすれば記事が書けるようになるのでしょうか。そんなのは、私も知りたいくらいですが、seyakate910さんの場合は、子育てが一段落したら、また書きたいことが見つかるのではないかと思います。
子育てが一段落するのはいつ頃なのか、それは私にはなんとも言えません。私自身、いつ子育てが一段落したのか、ハッキリと覚えていないからです。子どもの手がかからなくなったな~、と思ったら成人していました。
私が言えるのは、どんなことにも終わりがあると言うことです。永遠にこのままの生活は続きません。だから、一度ブログを始めた人はたとえ辞めてしまったとしても、また始めたくなるのではないかと私は考えているのです。
私の場合はどうでしょうか?レンタルサーバーの契約を1年毎に更新することになっています。とりあえず契約が終わる今年の8月までは、考えすぎずに、でも力の限りブログを続けます。
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