女性なら誰でもアクセサリーをいくつか持っているでしょう。私の母もそんなに高価なものはなかったでしょうが、数点持っていて、子ども時代の私はそれらを引き出しから取り出して、眺めるのが好きでした。
母の懐かしい一言
うっとりと指輪やペンダントを眺める私に母はこう言ったものでした。
ゆみこねこが大人になったら、全部あげるからね。それまでお母さんも大切に使うから。
それを聞いて、私はいつか大人になった自分が母からアクセサリーをもらう瞬間のことを想像し、いつかは自分が大人になるのか、と不思議になりました。
母が大人になったらくれると言っているのだから、それが自分のものだとは私は考えませんでした。つまり、アクセサリーは自分には関係のない、ただ眺めて楽しむものだったのです。
母と同じことを言ったら
後に出産した私は、かつての私と同じように私のアクセサリーを眺める長女の姿を見て、感慨もひとしおでした。そして母と同じことを言ってみたくなりました。「大人になったら、全部あげるからね」と。
そしてその後ちょっとした事件が起こりました。私の引き出しから、指輪が1つなくなったのです。それは高価なものではありませんでしたが、私が長女を無事に出産した記念にと買い求めたものでした。
長女の様子がおかしかったので、問い詰めると友だちにあげたと言います。前後して長女の友だちのお母さんから、子どもが指輪を持っているから返したい、と連絡がありました。
長女の言い分
長女の言い分というのはこうでした。
指輪もペンダントも、大人になったら私のものになるんでしょ?それなら今、大切な友だちにあげたいと思った。その指輪は友だちの印だったんだよ。
友だちのお母さんは長女に、まだ長女ちゃんは大人じゃないから、指輪はお母さんのものだよ、だから勝手にあげたらいけないんだと諭してくれました。そして指輪なんかなくても、友だちはできるんだよ、と教えてくれたのです。
気質も関係しているかも
長女はそのとき小学1年生でした。子どもには大人になったら、というような未来の話やたとえ話は通用しないのかもしれない、と私も反省しましたが、後になってこれは長女の気質によるものかもしれないと考えるようになりました。夫もたとえ話や比喩表現、冗談の類があまり通用しない、つまり言葉の裏などはよめないわけです。
どちらにしても、私の不用意な一言が大事になってしまいました。実はもう1つ失くなってしまったペンダントがあるのですが、私は追求するのも疲れてしまい、とうとうそのままになっています。
それほど仲良くしたかったお友だちでしたが、中学に入学する頃には関係が薄れ、今では連絡も取っていません。私は、子どもの頃のことは当てにならないからな~と思うとともに、どこか腑に落ちないでいるのです。