我が家の近所に小さな中華料理店がありました。以前はうどん屋さんだった店舗をそのまま使っていたので、小上がりがあって座ってゆっくり食べられる店でした。夫はよく近所の人たちとの会合などに使っていました。
もともと大勢のお客さんが出入りするような店ではなかったため、コロナ禍の中どうしているかと夫はその店のことを気にかけていました。
久しぶりに連絡したけど
緊急事態宣言も解除、そろそろ夫たちの活動(地元の青年団やお囃子、それからJAの役員など)も再開することになり、会合のために店を予約したいと、夫は久しぶりに中華料理店に連絡をしました。
しかし、中華料理店の店主から夫が聞いたのは、もうこれで店をたたむという一言でした。店主の言い分はこうでした。
緊急事態宣言が長過ぎたよね。解除になると言っても、いつまた逆戻りするかわからないよ。きっと、同じことの繰り返しがあると思う。もう、やっていかれないよ。
その中華料理店は家族経営の小さな店だったために、時短要請に応じたことでもらえる協力金でなんとかなるだろうと夫は思っていたようでした。何もしなくても1日6万円が入金されるなら、十分に店は存続するだろうと考えたのでしょう。
しかし、結果は予想を裏切るものでした。単純に1日6万円といっても、店の家賃や光熱費、人件費を考えるといくら小さな店でも支えるのには足りなかったのかもしれません。もし、協力金に不足がなかったとしても、一々緊急事態宣言が出て、時短要請をされる度に政府に振り回される自分たちの立場が嫌になったのかもしれません。
こうして寂しくなっていく
普段はコロナで飲食店が閉店するのは、テレビの中のことでしたが、初めて身近に起こってみると、やはり寂しい気持ちになりました。
私たちが住んでいる地域は、近くに国道が走っており、沿道には飲食店がありますが、そのどれもがチェーン店ばかりです。昔から地元の人がやっているようなお店はコロナ前からどんどん減っていましたが、コロナの結果なくなる店があると思うと寂しさもひとしおです。
営業を辞めたお店は、建物がそのまま残されて寂れていきますが、それを通りかかる度に眺めるのも、また寂しくて嫌なものです。
こうして地域全体が寂れてしまうのかな、などと考えるのは私自身が寂れている証拠なのでしょうか。
もう最後だからと出かけていった夫
夫は昨日、閉店する中華料理店に友人とともに出かけて行きました。店内は今までにないほど、混雑していたそうです。店内で別の友人とも会って、みんなで二次会にまで出かけてしまいました。
私は先に眠ってしまったので、夫がいつ帰宅したのかも知りません。
店内がすごい密状態だったよ。ちょっとやばかった…
夫は朝、こんなことを言っていましたから、少し羽目を外したことを後悔していたのかもしれません。普段夫は、緊急事態宣言下でも、我慢できずに外で酒を飲むような人の事をテレビで見る度に「少しは我慢しろ」などと悪態をついていましたが、何のことはありません。自分もきっかけがあれば、外に出て酒を飲みたいのです。
人間はみんな同じ。自分の思い通りに、好きなように生活したいのです。我慢ができるのはほんのいっとき、自分の容量以上の我慢を強いられれば、いつかは爆発してしまうでしょう。
近所の中華料理店の閉店で、コロナはじわじわと日本全土に染み渡り、私たちに影響しているんだなと実感しました。普段と変わらない生活をしていると自分では思っていても、やはり影響を受けていると思います。
これまで以上に、自分は本当はどうしたいのかを考え、自分ファーストになることも今を乗り切るためには必要なのかもしれませんね。
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