毒親にならないために

家族

毒親が生まれる背景には、育児の常識が時代とともに変わることが関係しているのではないかと思えてきました。

子育ての常識は変わった

1964年生まれの私が子どもだった頃、子どもはしつけのためと称して、時には叩かれることがありました。親だけではなく、学校の先生も言うことをきかない生徒を叩き、それが当然と思われていました。その傾向は私が高校生の頃までは確実に続いていました。

それがあるときから、決してやってはいけないことになりました。もちろん小さな子どもに暴力はいけませんが、それまで当然のようにしていたことが犯罪に等しいことになったために、多くの大人たちが戸惑いました。

叩いてわからせる代わりに、何をすれば良いのかをやっと日本の大人が考え出したのです。中々人間は今までの自分のしたことを反省して、新しい道を歩み出せるものではないと思います。それまで存在していなかったものを自分で一から始めるのには、大変な苦労があったことでしょう。

もちろん、昔から子どもには決して手をあげないというポリシーの親もいたかもしれませんが、私の記憶にはありません。それどころか帰宅時間が5分遅れるとビンタをされる、などという親が実際にいたのです。この親たちが今の世の中で子育てをしようとしたら、間違いなくアウトだと思います。

もしその当時の子どもたちが口を揃えて、「親に愛情があるから私は叩かれていると思う」とか「優しいときもあるから、たまに叩かれることは気にしていない」などと言えば、洗脳されているということになるのかもしれません。

時代に取り残されて毒親になる?

時代の流れとともに、価値観が変わることはよくあります。子育ての常識も変わって不思議はありませんが、それにどうしても取り残される人が出てくるような気がします。取り残された人が、やみくもに足掻いてしまうと毒親ということにされてしまうような気がするのです。

子どもへの愛情があれば、決してそんなことにならない、とは私には思えません。毒親かどうかを判定するのは子どもです。子どもが嫌だと思えば、その親は毒親です。自分の気持ちが子どもへどう届くのは、それは親にはわかりません。だって、親は決して子どもにはなれません。せいぜい子どもの気持ちを推し量るのが関の山です。

子育て以外の常識も、どんどん変化していて昔なら普通の言葉だったものが差別用語になっていたりします。そのスピードは早くて、置いていかれたらもう追いつけないかもしれません。

よく私の母も言っていました。

昔の子育ては楽で良かったわ。今ではいろいろと難しくて…私にはとても無理よ。

相手のことを考えるのが大切?

今の時代は、向き合う相手の気持ちを考える時代なのかもしれません。相手が何をされたら傷つくのか、嫌なのかを精一杯考えることで、毒親にはならずに済むのかもしれません。これは人間の多様性を大切にすることにもなると思います。

私の母には悪気はなかったと思いますが、掃除のときにつきまとってジャマだから、柱に帯でしばりつけただの、おもらしをしたら引っ叩けば、おむつなんかすぐに取れる、などと笑顔で話す人でした。これを言ったら、相手はどう思うのかを少しでも良いから考えてくれていたら、と思わずにはいられません。

そして私自身はどんな親なのか、甚だ自信はないのです。

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