池袋暴走事故について思う

タブー

2019年の4月に池袋で起きてしまった、自動車の暴走事故。たまたま、近辺を自転車に乗って走行していた、まだ若いお母さんと娘さんがこの事故で命を落としてしまいました。

男性は言い逃れをしているのか

運転をしていたのは、89歳の高齢男性で、旧通産省工業技術院の元院長でしたが、高齢を理由に逮捕されませんでした。

これで日本中に疑惑が広がりました。偉い人だから逮捕をされなかったのではないか、この事故ももみ消されてしまうのではないかと感じた人も多かったでしょう。

やっと今月の8日に初公判を迎え、久しぶりに男性の姿をテレビで見ることになりました。その姿を見ていると、どうして運転をしようとしたのかと、つい思ってしまいます。

そして何よりも驚いたのは、男性が無罪を主張したことです。いまだに男性は自分はアクセルを踏み続けていない、自動車に何らかのトラブルがあったと主張しているそうです。

罪を認めるのが怖いのでは?

このことで世間にはさらに男性に対して反感を持った人がいたことでしょう。私が今朝見た番組でも、まだ言い逃れをしている、自分の罪を認めていないと怒っているコメンテーターが何人もいました。

言い逃れには違いありませんが、私には男性には大きな恐怖があるような気がしました。自分の罪があまりにも大きくて、認めてしまうと自分が壊れてしまうのが男性にはわかっているのではないでしょうか。

だから、自動車の不具合のせいにしたいのではないかと思えたのです。男性が運転していた自動車を調べても不具合は見つからず、ブレーキをかけた痕跡も見つからなかったそうです。

調べればわかってしまうことを、あえて口にしている男性は、もうすぐ本当に壊れてしまうのではないかと心配です。ある程度の正気を保っていないと、遺族に謝罪も保証もできないでしょう。男性が完全に壊れる前に、なんとかできないでしょうか。

運転をしなくても不便がなければ…

そして、運転についても考えさせられます。体力がなくなればなくなるほど、自動車に頼りたくなるのは、私にもよく理解できるのです。

今、高齢者の危険運転が問題になっていますが、今高齢の人たちは、ちょうど日本に自家用車が一般化したころに運転を始めた人たちのはずです(今56歳の私が子どもだった頃です)。

それ以前には自動車は本当に限られた人たちのもので、ほとんどの人には縁がなかったと思います。だから、高齢者の危険運転などという問題があるはずもなかったのです。

私たちは、とても良い道具を手に入れてしまいました。それを手に入れることが自立と自由の証だとまで、思ってしまったとしても仕方がないと思います。1度手に入れたものを手放すのは、自立と自由をもぎ取られるような気がしてしまいます。

私だって、もし明日から運転をしてはいけないと言われたら、買い物や通院、雨の日の送り迎えはどうしよう、と困ってしまいます。

危険運転をなくしたいなら、自動車などなくても自立していられる環境を作らなくてはならないでしょう。高齢者に運転を止めて欲しいなら、そちらも忘れずに考えないといけません。

この事故は私にとっても、決して他人事ではないのです。

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