あまり便利な土地に住んでいるわけではありませんが、徒歩5分以内のところに内科の医院が開業しました。今から25、6年前のことでした。まだ娘たちが幼かった頃、具合が悪くなると連れて行くのにちょうど良くて(家に近いから子どもも遠くの病院に連れて行かれるよりもリラックスしていたような気がします)、随分とお世話になりました。
その医院の医師が今年に入って亡くなったのだそうです。
みんなでお世話になった
育児が大変だった頃は、私も風邪を引いて何度か診察を受けたことがありましたし、夫の祖母を連れて行ったこともありました。私はもともと呼吸器があまり丈夫ではないようで、風邪を引くと咳が止まらなくなるのですが、その医院で処方してもらう薬は私ととても相性が良かったです。ドラッグストアで買った薬ではどうしようもなかった咳が、医院で処方してもらった薬を飲むと1日くらいで収まりました。
医師は温和そうな中年男性で、25、6年前に50代だったと思います。最初に私は乳幼児を診ていただけますか、と電話で問い合わせをしたのですが、「いいですよ。連れていらっしゃい」とにこやかに答えてくれて、とても嬉しかったのを覚えています。
コロナ禍でも診察してもらった
2年前にコロナ禍に突入したとき、私は発熱した後、咳が止まらなくなりました。そのときはコロナの疑いのある人は医院の中に入れないということで、私は車に乗ったまま医師の問診を受け、薬を処方してもらったのです。医師の見立ては「咳喘息」で、その薬を処方してもらったのですが、見立ては当たりだったようで、それから間もなく私は回復しました。
そのとき私は随分久しぶりに医師の顔を見ましたが、娘たちが幼かった頃のままの温和な顔立ちで、『先生は齢を取らないな~』などと感心して帰宅したのです。しかし、それが最後の機会になってしまいました。
それからもコロナ禍は収まらず、私は再び医院から足が遠のきました。私は特に慢性疾患は持っていなかったため、風邪でも引かない限りは医院に行くことはなかったからです。
先月になって夫がもう数ヶ月前に医師は亡くなったのだと人づてに聞いてきました。前立腺がんだったそうです。ずっと親しくしていたわけでもないし、かかりつけ医だったわけでもない医院の医師ですが、娘たちが幼かった頃は随分と医師の存在が慰めになったように思います。
当たり前だけど時は流れた
娘たちへの「大きくなったね。もう、お姉さんだね」などという一言、私に向けた「子育ては大変だろうけど、無理をしないでね」という一言は今思うと、ありがたいものでした。
幼い頃はあんなに医院に通っていた娘たちは成長すると嘘のように丈夫になりました。だから医院の存在もどこか遠くに感じるようになっていました。どこかで私はずっとあの医院は娘たちが幼かった頃のまま、存在しているように思っていたのです。
医師の死で私は現実を突きつけられたような気がします。いよいよ次は自分の番、と言ったら良いのでしょうか。母の死のときも同じことを思いましたが、医師は母よりもかなり若かったので、一層、自分の番が近づいて来たように感じます。
ちなみに医院は医師の娘さんがすでに跡を継いでいるそうです。きっとこれからも地域の拠り所になっていくことでしょう。
友だちになったりしなくては、人と関わったとは言えないと私は思ってきましたが、実はそうではないんだな、と今実感しています。私が医師に対して感じていたことは、十分にかかわりがあった証拠だと思います。自分の番が来るまで、そういう思い出を大切にしていけたら良いな~。