自分がやったことは決して消えない、これが悲劇にもなると教えてくれた「鎌倉殿の13人」

鎌倉の街並み テレビ

このブログを始めてそろそろ3年になろうとしていますが、何回か大河ドラマについての記事を描きました。

今年も毎週楽しみに「鎌倉殿の13人」を見ているのですが、このドラマは見ていてただ楽しい、ワクワクドキドキするというものではありません。先日、5月29日に放送した回では、主人公北条義時の妻・八重が突然亡くなってしまいました。

この亡くなり方が何とも考えさせられるものでした。2~3日引きずって考えてしまった方も多いのではないでしょうか。

新たな人生を歩みだしたと思ったのに

義時との間に男児・金剛をもうけた後、かわいそうな子どもたちを助けたいと、身寄りのない子どもたちを手元で育てていた八重。我が子と孤児たちを一つ屋根の下で育てていたため、批判を受けることもありました。そんな中、先夫・頼朝との間に生まれ、幼くして殺されてしまった千鶴丸に面影が重なる男児・鶴丸(名前も似ている)を引取ったのでした。

その子が川遊びの最中に、流されかけたのを見た八重は自ら水の中に入り、救助をした後、自分は力尽き流されて亡くなってしまうのです。その直前の場面で八重は義時に語ります。かつての自分はどうかしていた、義時を選んで本当に良かったと。

優しい夫とかわいい子ども、更にはかわいそうな子どもたちを助けるという生きる目的を見つけて、八重は再び人生を歩みだしたように見えたのでした。しかし、鶴丸が流されそうになったのを見た瞬間、八重は自分の息子が殺されたのを知った瞬間に戻ってしまったかのようでした。そして今度こそ、自分の手で我が子を助けずにはいられなかったのでしょう。

千鶴丸を殺したのは八重の実父でした。源氏の棟梁と自分の娘が子どもまで作ってしまったと知られてしまったら、当時隆盛を誇っていた平家に滅ぼされると心配した彼は自分の孫を部下に殺させたのです。

やったことは消えないと教えてくれた

通常のドラマではどんなに辛いことがあっても、人は立ち直り前に進んでいくのでしょう。それを誰も邪魔できないかのように描いていることが多いように感じます。今回も八重は立ち直り、義時とともに進んでいくとばかり思い、私は油断をしていました。

しかし、「鎌倉殿~」では、誰かが誰かにしたことは決して消えることがなく、消えたかと思っているとブスブスと燃えだして、あっという間に人ひとりを燃やし尽くしてしまうようです。

多分八重は自分自身でも、新しい人生に希望を持っていたでしょう。義時や我が子・金剛に対する思いにも偽りはなかったと思います。しかし、かつて八重につけられた火は消えていませんでした。

鶴丸が川で流されそうになったときに、それはあっという間に八重の中に燃え広がり、命を燃やし尽くしてしまいました。

実際の人生でもそういうことはあると思うのですが、それをわざわざドラマにしてわかりやすく目の前に突きつけられることはそうないと思います。そうはないことをされると、見ている私たちは驚き、動けなくなると同時に目を離すこともできなくなります。だから、私は毎週文句を言いながら、日曜の夜8時にはテレビの前で正座をすることになるのです。

忘れたふりをしているとしっぺ返しも

やったことは消えない、それを誰もがわかっていながら、知らんぷりをしているのが私たちの生活です。やったことは消えないとあまりにも自覚してしまうと、やった方もやられた方も生活ができなくなるため、ある程度は知らんぷりも仕方のないことだと思います。

しかし、それを完全に忘れたふりをして、生きているといつかはしっぺ返しをされるのではないでしょうか。しかも、自分がやったことが自分に帰ってくるならまだしも、思わぬ方向に帰ってこないとは限りません。

八重の残した男児・金剛の行く末もとても心配ですが、なぜ彼はしっぺ返しを受けなくてはならないのか、そんな人生を歩む彼はどのように成長していくのか、興味を持っているのも事実です。そして舞台が鎌倉時代で良かったとも思います。これが現代だったら、私は辛くて見ていられません。遠い過去のことだと思うからこそ、一歩引いた状態で見られるのかもしれません。

大河ドラマが時代劇なのは、ドロドロの人間ドラマも何とか見せてしまえるから、なのかもしれません。

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