次女に教えられたこと

家族

娘が2人います。次女は自宅に引きこもってから、もう数年たってしまいました。次女が小学生のときから、私は不安と疑問を感じてきましたが、今はこれが解消したような気がしているので、自分のブログでお知らせします。でも、決して明るい話ではありません。

次女は友だち付き合いを止めた?

次女のことはチョコチョコとこのブログで記事にしてきました。「家族は難しい」でも、次女について書いています。

私が次女に対して最初に不安と疑問を感じたのは、小学6年生のときだったと思います。それまで遊んでいた友だちと、一切放課後に遊ばなくなりました。友だちは、わざわざ自宅まで呼びに来てくれますが、次女は応じません。そのまま小学校を卒業して、中学・高校でも状態はまったく変わりませんでした。

私はそれまで自分は学生時代には、友だちもいて、それなりに楽しくやっていたという自覚があったので、最初は次女のことをかわいそうだと思っていました。でも、目の前の次女の姿を見ているうちに、自分にとっての友だちについて考えるようになりました。

私自身に友だちはいたのか?

私も次女と同じで家の中で過ごすのが好きな子どもでした。本を読んだり、編み物をしたりするのが楽しかったのをよく覚えていますが、母にとってそれは物足りない姿だったようです。「友だちがいないなんて、あんた、嫌われているんじゃないの?」母からは度々そういわれるようになりました。そして私は、自分が嫌われ者だと認めるのがとても怖くなりました。早く友だちを見つけないと、本当に嫌われ者になってしまう、と考えたような気がします。

だから、私は思春期に入るまで、友達作りに苦心しました。そして本当の友だち(何が本当の友だちなのか、今もわかりません)である証拠を欲しがりました。いつでも自分が嫌われていない、よい人であると思っていたかったのでしょう。でも、自分が嫌われていないという確証はなかなか持てるものではありません。思春期に入ってしばらくすると、恋愛に救いを求めるようになりました。

付き合うようになる直前は、男女を問わず、相手によいことばかりをいいます。それは嘘ではありませんが、その言葉を鵜呑みにして、自分が認められている、自分にはその価値があると思いこむのは、あまりに浅はかで危険だったと今は思っています。

私の友だちに付いての気持ちを見つめ直したら

結婚して母親になってからも、私は事あるごとに誰かに電話をしたり、手紙を出したりしていましたが、今思うとそれも私にはまだ友だちがいるんだと思いたかったから、やったことでした。私は次女を見ていて、友だちがいないということは、そんなに大変なことではないのではないかと思えてきました。そして誰かへの働きかけをすべて止めたところ、まったく辛くなく、かえって少し気楽になったような気さえしました。

もしかすると私は自分が友だちも恋人も欲しくなかったのに、嫌われていないと思いたいというだけの理由で、友だちごっこや恋人ごっこをしていたのかもしれないと、この歳になって気が付いたのです。相手にもとても失礼なことをしました。

それに気が付いた途端に、次女に友だちと付き合いなさいとはいえなくなりました。それで、そのまま見ていたら、何年もたってしまいました。

次女に教わったことを、どうやって活かすのか

私は次女に自分の気持を見つめ直すことを教わったような気がしています。でも、自分の気持ちに気付いても、その先どうやって生きていくのかは、また自分で考えていかなくてはなりません。次女の存在はいつも心に引っかかっていますが、実は自分の姿が映っているのかもしれないと思うようになりました。

「私の今の状態(引きこもり)には、家族の存在も一因になっていると思う」昨日は次女にこういわれました。 一瞬、人のせいにしないで、と思ってしまいましたが、本当にそうなのかもしれません。同じ家に住んで、同じ物を食べて生活していれば、影響を受けないわけがありません。家族の問題は、誰か1人の問題ではなく、自分の問題だと考える必要があるのでしょう。今の次女の状態には、自分の姿が映っていることに間違いはなさそうです。

私は先に進んでいきます。次女はどうするのか、まだ気になっていますが、私はやはりそのまま見ているような気がします。

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