昨日、池袋通り魔殺人事件についてのテレビ番組がやっていました。事件が起こったのは1999年9月8日のことでした。我が家の長女は小学1年生、池袋のサンシャインシティでポケモンのイベントがやっていたので、私は連れて行ってあげようかな、と考えていたのです。
一人で子どもを連れて外出してみたかった
長女を出産するまで勤めていた職場は池袋に近く、たまに帰りにサンシャインシティの中にある東急ハンズに寄ったりもしていました。私は都心の地理には疎いのですが、唯一サンシャインシティだけは馴染みがあったのです。
その頃、夏休みに1度は家族旅行に出かけていましたが、私だけでも子どもを楽しいところに連れていければ、長い夏休みがもっと楽しくなるのではないかと思っていました。実際にその頃私の知っているお母さんたちは、自分が子どもを連れてディズニーランドにも出かけていましたから、ちょっと私も真似をしてみたかったのかもしれません。
確かポケモンのイベントは9月いっぱいまでやっていたように思います。9月なら空いていて良いのではないかと思って計画を立てていたら、事件が起きてしまったのです。
見覚えのある場所が現場になる恐ろしさ
テレビの画面の中にはかつて自分も歩いた見覚えのある道が映り、そこが恐ろしい事件の舞台となっていました。もし自分がその場にいたらと考えると、恐ろしさで胸が苦しくなるほどでした。
テレビを一緒に見ていた夫は一言「そんなところに行くな」と口にしました。私もすっかり行く気を失いました。もともと外出好きではなかったため、私が子どもたちと出かけたのはその後数えるほどしかありません(夫と一緒の場合や買い物などは除く)。
私としては珍しく自分から娘たちと外出してみようかと思ったわけですが、せっかくの機会は失われたわけです。しかし、昨日の番組を見て、もう事件が起きてから23年も経つのだと驚きました。もちろん、当事者の方々にとって23年経ったからと言って何かが変わったわけではありません。
ただ、どんなに衝撃的な事件であっても、それは過去のことになり、私たち多くの部外者は忘れてしまうのだな、とつくづく感じました。不幸な事件があったとき、せめてこの先は同じような被害者が出ないように何か教訓を得たいものですが、忘れてしまうのでは決して教訓は得られないと思います。
忘れないことが大切
あの事件の直後は、私もどうすれば娘たちだけでも守れるのかを真剣に考えました。走って逃げろと言ったところで、極限状態の中、果たしてどこまで娘たちが逃げられるだろうかと考えると、とても暗い気持ちになったのを覚えています(娘たちは2人共走るのが遅いため、多分逃げ切れないと思っていた)。
しかし、近年とんとそんなことは考えなくなっていました。事件のことを忘れたから、だけではなく娘たちが2人共成人したためだと思います。今は緊急事態に陥った場合、下手をすると一番年を取った私が娘たちの足手まといになるかもしれません。
最近、いろいろと暗い気持ちになることが多かったのですが、こう考えると昔に比べて荷が軽くなっていることもあります。すべてが悪いわけではない、そう思えるのもまんざらではないと考えています。
ちょっと話がそれてしまいましたが、人間はあれほど衝撃を受けた事件を忘れてしまうものなのです。たまに思い出させてもらい、活を入れてもらわないといけないのかもしれません。そのために、各種メディアは存在しているのかもしれないな~、などと思ったのでした。本当は自分の力で思い出せると良いのですが…