現在谷崎潤一郎の「台所太平記」という本を読んでいます。これは谷崎家をモデルにした小説家の家で雇われたお手伝いさんたち(当時は女中さんと言われていた)の中で印象に残っている人物を描いています。
お手伝いさんは優れたシステムだった?
昭和11年(1936年)から話が始まっており、当時の農村や漁村の貧しい家に生まれた女子にとって、裕福な家に住み込んで、その家の家事を担うお手伝いさんは大切な職業でした。
当時は料理や洗濯といった基本的な家事も今のようには行かなかったはずです。ガスコンロで炎を細かく調節できるわけではなかったから、揚げ物や炒めものを作るのは難しかったでしょうし、洗濯だって人が手を使ってやるしかありませんでした。
時間も手間もかかる家事をするには、人の手を増やすしか方法はなかったのでしょう。お手伝いさんを雇えるのは裕福な家だけだと思うかもしれませんが、家事をすることで、裕福ではない人々も収入を得ることができたのですから、雇う側だけでなく、雇われる側にとってもお手伝いさんのシステムはなかなか優れたものだったのだと思います。
お手伝いさんもいなくなり、家事は孤独な作業になった?
しかし、私が子どもの頃でも(1970年代)、お手伝いさんを雇うのはよほど裕福な家、または事情のある家だけだったようです。私が子どもの頃、すでに家事は主婦が一手に担うものになっていたと思います。
私の母は実家が鮮魚店を営んでいましたが、それを嫌い、わざわざサラリーマンだった父と結婚して専業主婦をしていました。母にとっては家業の傍ら家事や育児など何もかも行うよりは、父の収入でやりくりして自分は家のことに専念する方が楽だと感じたのでしょう。
その考えを私も少なからず引き継いで、専業主婦になったと言えますが、主婦1人が家のことを何もかも担う制度には大きな落とし穴があるように思います。
専業主婦が家の中のことを何もかも一手に引き受けると、子どもが成長する頃には専業主婦本人がとても孤独な状態になります。家庭内で完結するのがその家の家事ですから、社会と隔離された状態になるのも仕方のないことです。
孤独というのは、自分だけの問題ではありません。外側から見ればたやすくわかることが、家の中だけにいて孤独な状態では判断がつかなくなってしまいます。家庭内に問題が起こったとき、解決することが難しくなりますし、もっと単純な話では、家の中が汚れているかいないかさえ、毎日家の中しか見ていない自分には、わからなくなってしまうのです。
しかも、自分自身の体力も衰え、健康状態が悪くなる場合もあります。主婦だけをしていて、ある時気がついて外に出たいと思っても、もう遅いということもあるのではないでしょうか。
また、どんな人にも能力の偏りがあります。一口に家事と言っても料理や掃除だけでなく、家計管理や育児、介護などその内容は多岐に渡ります。それがすべて均等にできる人などいるはずがありません。
お手伝いさんが数人いれば、必ずその中で得意分野が違う人がいて、補い合って家庭が運営できるように思います。お手伝いさんのいるシステムがあれば、美味しいものを食べているけど、部屋はとても汚いと言ったアンバランスな状態にはならないはずです。
谷崎潤一郎の世界よりも現在は劣っている?
現在の1人がこなす家事は、さまざまな家電を利用していることを差し引いても、昭和10年代よりも、孤独で偏りがある点で劣っていると言えるのかもしれません。しかし、今更谷崎潤一郎の世界のようなお手伝いさんのシステムは復活しないでしょう。住み込みの女性を何人も抱えるなど、今の私たちにはいろいろな点から無理なのです。
ですが、今再び家事代行サービスが見直されているのは、みんなが密室で1人で家事をする孤独に気づいた証拠ではないかと思います。やはり今また、家事が仕事を生み、誰かがそれで収入を得ているわけです。
家事代行サービスを利用することで、助けてもらうだけでなく、誰かの収入の助けになれるかもしれません。いざと言う時はためらわずに、家事を誰かに委ねてみようと思っています。