先日、私と弟の関係について書きました。長い間喋っていなかった弟でしたが、母の入院をきっかけに再び行動をともにするようになりました。
何十年もろくに喋っていなかったけれど、違和感なく一緒に行動できたのは、きょうだいだから当然だと思っていました。しかし実はそうではなかったのかもしれません。私の娘たちと、私と弟の関係の違いは、きょうだいケンカのある無しではなかったかと思うのです。
くだらないケンカばかりしていた私と弟
思春期を迎えるまで、私と弟は顔を合わせればケンカばかりでした。当時はお菓子なども自由に食べることができませんでしたから、どちらのオヤツが多かったか、そんなことで本気のケンカが始まりました。
母はそれをかなり情けないと感じていたようで(当然ですね)、ずいぶんと私は注意され、何かにつけてこう言われたものです。「年上なんだから、ゆみこねこが弟に譲りなさい」
それがまた、私には面白くありませんでした。年上に生まれたのは私のせいではありません。なぜ、何でも私が譲らないといけないのか、不公平だと思っていました。オヤツのことだけならまだしも、ことは受験にも及びました。
厳しく受験する学校を決められた私に対して、弟は比較的自由に受験ができたのです。母にしてみれば、私のときは初めての受験で勝手がわかりませんでしたが、弟の時は2度目で力が抜けていたため、それほどうるさく言う気持ちにならなかったと言うことです。
当時の私にとって、進学先は人生を左右する大切なものでした。それを私だけが自由に決められなかったと思うと、どうしてもそれを許せず、大きなしこりになってしまったのです。
ケンカをしていても、生活は続く
今、こうして言葉にすると、私がいつも不満を抱えていたように思われるかもしれません。しかし、狭い家の中で一緒に生活をしていたら、きょうだいケンカのことばかり気にしてもいられません。
しこりを抱えながらも、私と弟は一緒にご飯を食べ、テレビを見て、トイレの順番争いをしました。弟とケンカをすることで、私は仲良しこよしでなくても、人は一緒に生活できるし、それが家族というものだと学んだのかもしれません。
これは50歳を過ぎた今だから思えることで、若い頃の私は娘たちのきょうだいケンカを徹底的に防ごうとしました。
ケンカは悪だと思っていた
家庭内でケンカが起こるのは、悪いことだと私は固く信じていたのです。娘たちの年を4学年離したのも、年が離れていたらケンカをしないだろうと思ってのことでした。
しかし、それは娘たちが人とぶつかったときに、自分でトラブルを解決する能力を養う機会を奪ってしまったようです。
今回2人がぶつかったのも、もとを正せば騒音トラブルでした。すでに成人している2人です。冷静に話し合えば、いくらでも解決策を見つけられたと思います。
これから強くなるかな?
長女は今、自分も感情的になってしまった、また同じことがあったら、その時はその時だと笑って言っています。次女も落ち着きを取り戻したようで、話す表情が穏やかになりました。
最も身近に、人間関係を学べる場所があったわけです。長女にも次女にも、これからドンドン学んで欲しいです。私自身も、もっとしっかりしないといけないですね。あと3年で還暦を迎える年なのですから、これくらいのことでショックを受けないようにしたいです。