普通って、どういうこと?

生活

コロナの感染を防ぐために、給食のときに机を向かい合わせにせず、授業のときと同じように、前を向いて食べる学校が多いそうです。それがつまらないとか、寂しいという意見を持つ人もいるかもしれません。

次女の気持ちは違った

私も給食とは、机を向かい合わせてみんなで仲良く食べるものだと思っていました。しかし、現在引きこもり中の我が家の次女に言わせると、それは余計なお世話だと言うことです。

次女は席が隣だという理由だけで、あまりしゃべったこともないクラスメートと一緒にご飯を食べたくなかったそうです。次女には、給食のときに机を向かい合わせにするという普通は通用しなかったわけです。ちなみに長女も同意見でした。長女は結構友だち付き合いもしていますが、それでも教室での給食で、わざわざ机を向かい合わせにして、親密そうに食べなくても良いのでは、という考えでした。

普通という言葉は、余りに範囲が広いです。そのため、普段は自分の普通を疑う人はあまりいませんが、どうやら自分の普通と他人の普通は違うらしいのです。このコロナ禍で、思いもしない違いが露呈したようです。

普通って結構難しい

私も普通という言葉には、しばしば嫌な思いをしたものです。結婚したばかりの頃、何かというと夫に「普通はこんなことしない」とか、「普通はこうするものだ」とよく言われたのです。

それは私の普通とは違っていたため、言われる度にイライラするか、普通にできない自分を責めました。

しかし、夫も悪気があったのではないでしょう。私も、次女の話を聞くまでは、給食のときに机を向かい合わせることに、何の疑問も持っていませんでした。この自分の普通を疑わないことが、結果として他人に普通を押し付けることにつながるのかもしれません。

コロナ禍でいろいろな普通が壊れている今だから、一度普通ってなんだろうと考えてみたいです。

普通も変わる

私が子どものとき、小学校の4年生くらいまでは、食事中は黙って食べるように親から言われました。喋りながらの食事は粗相をしやすい、食事とは普通は黙って食べるものだと言われたのです。それが、中学校に進む頃には、食事中は1日にあったことを家族で話す時間ということになっていました。

あまりの違いに私は戸惑いましたが、親はどちらの場合も平気で「それが普通でしょ」と言っていました。普通って、思ったよりも壊れやすいものなのかもしれません。

その時どきで変わるものなら、あまり普通に固執しても仕方がないです。私くらいの年の人なら、たくさんの普通が変わった経験を持っているのではないでしょうか(例えば、電話を1人1台持つなんて、以前は普通ではありませんでしたよね)。

変わることを忘れないようにしたい

ただ、私たちはつい普通は変わるのだということを忘れてしまいます。普通はずっと変わらないでいてくれた方が、変化に対応しなくても良いので、楽だからです。普通は変わらない、と思い込んでいると、やはり誰かに「普通はこうなんだよ」と口を出したくなってしまうような気がします。

普通は一人ひとり違うもので、その上変わるのだということを忘れないようにしたいと思いました。これはきっとコロナ禍のおかげ(?)なのですね。

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