今朝(2021/10/24)の朝日新聞の埼玉県版に、選択的夫婦別姓についての若者の意見というのが載せられていました。若者だけあって、これから結婚する人たちでしたが、誰もがみんな夫婦別姓に賛成しているわけではないところが興味深かったです。
結婚というのは、夫婦どちらかの姓にしなくてはいけないことだから、それが嫌ならしなければ良いという意見もありました。私はこれは結婚していないからこそ、言える意見ではないかと思いました。
名字が変わると面倒くさい
私も実際に結婚して名字が変わるまで、それが良いとも悪いとも思いませんでした。結婚とはそういうものだと思っていましたし、夫婦どちらの姓にしても良いことは知っていましたが、もし私の姓にすれば様々な憶測を呼ぶこともわかっていました。それで納得して姓を変えたつもりでしたが、実際に当事者になってみると、いろいろな思いがありました。
まず、姓を変えることで様々な手続きが必要になります。預金通帳や生命保険の名義変更はもちろん、年金手帳や健康保険の名前も変えなくてはなりません。私が当時勤めていた会社では、社員証を作り直さなくてはならないということで、わざわざ本社の総務部に出向かなかればなりませんでした。
ただでさえ、結婚して住む場所も変わり、生活が慌ただしくなっている中、更に自分には各種手続きが必要になったため、どうしても不公平感がありました。
ある日を境に突然名前が変わるわけですから、仕事だけで会う人にも説明が要るかもしれません。私はそれほど親しくしていない人にまで、一々説明する必要があり、それも面倒で嫌でした。
これを実際に体験していない人は、結婚とはそういうものだから仕方がないと思うでしょうが、体験してみると多分、ずいぶんと感じ方が違うのではないかと思います。一つひとつの手続きにかかる時間は大したことがないかもしれませんが、全部を合計するとかなりの時間を割かれることになります。
忙しい若い人は、もっと他のことに時間を使えば良いと私は思うのです。
名字が変わることで喪失感まで!
意外だったのは大きな喪失感でした。20数年をともに生きてきた自分の名字がある日を境に変わってしまったことで、私はそれまでの人生がなくなってしまったような気がしました。それまでの名字はもう自分のものではない、しかし夫の名字で呼ばれてもそれが自分のものとは思えなくなったのです。
私はもともと友人ともあまり下の名前で呼び合う習慣がなく、自分の名前と言えば名字でした。それが急に奪われてしまったのですから、喪失感を覚えても仕方がなかったのかもしれません。
長い間どっちつかずなままで生きて、私がたどり着いた答えは名字がなければ、喪失感もないし、どちらの名字にしようかと悩むことはない、というものだったのです。
名字がない国もある!
これを荒唐無稽と思う人もいるかもしれませんが、世の中にはインドネシアなど、そもそも名字がない国もあります。最初から名字がなければ、夫婦どちらの姓にしようかと悩むことはありえません。姓がバラバラだと子どもの姓はどうなるのかとか、家族の絆が壊れるなどと言われることもないでしょう。
それに私たちが今まで家族とは姓が同じものだという強い思い込みが、このような心配を生んでいるだけで、実際にやってみたらそんなことはないかもしれません(実際にインドネシアには、名字がなくてもたくさんの家族がいることでしょう)。
選択的夫婦別姓は、必ずしも夫婦が別姓でなければいけないということではないはずです。一緒にしたい人はそれで良いでしょう。けれど、自分の姓を変えたくないと言う人にまで、強制的に姓を変えることをしなくて済むのであれば、私は素晴らしい考えだと思います。
結婚とは女性が夫の姓に変えることだ、それが嫌なら結婚しなければ良いと思う人は、自分が一度姓を変えてみて欲しいです。変えていろいろな体験をして、それでも同じことが言えるのでしょうか。
姓を変えることがネックになって結婚に踏み切れない人(例えば自分の名字が変わることで、家が絶えてしまうなど、いろいろな理由が考えられます)は選択的夫婦別姓が取り入れられれば、結婚できるかもしれません。これがそのうち少子化対策にもつながるかもしれないと私は思っているのですが…
たかが名字、されど名字本当に日本人は面倒ですね(最近ブログで面倒という言葉を大量に使っている気がします)。