6年前のちょうど今頃、私は毎日母の元に通っていました。母の体調が急激に悪化したのです。母は具合が悪くなってから、3カ月程度で亡くなりましたが、私は母のおかげで他人を羨んでも仕方がないと思うようになりました。
当時、母は体の痛みを訴えて、整形外科に無理やり入院をさせてもらっていました。本当は母はガンだったので、そこでの治療に成果があるはずもなかったのですが、母は病院側がキチンと治療をしてくれない、という内容のことを口にしてトラブル状態になっていました。
強制的に退院をさせられた母
そんな母はすでに自由に歩けなくなっていたのに退院させられました。私は母の次の入院先を探す間は実家に通って世話をすることにしたのです。
半ば強制的に退院させられたために、紹介状も書いてもらえず、入院をさせるためにはある程度の時間が必要だと思われたからです。
新たな入院先を探すのが大変だった
母を近所の総合病院に連れていき、診察を受けさせ、入院できるまでにこぎつけるまでも、私にとっては大変でした。苦痛を訴える母をなだめすかして、長時間を待合室で過ごさなくてはならなかったからです。
母はどこか痛いからといって、待合室で騒ぐようなことはありませんでした。そのため、母の症状が重篤なことがなかなかわかってもらえず、1度は「今日は混んでいるから、また今度にしましょう」などと言われたのです。
家ではほとんど寝たきりの状態になるほど、母は苦しんでいるんです。
今日もやっとの思いで連れてきて、ここまで待ったんですから、
どうか診察してください。お願いします!
私はこう必死で懇願したことをよく覚えています。
入院が決まっても大変だった
そんな思いでやっと入院が決まると、今度は毎日病院に通うことになりました。最初、母は何かと理由をつけては私を呼び出しましたが、そのうち不安を私にぶつけるようになりました。
もちろん私は休みなく病院に行きましたが、母の言動はおかしくなるばかりで、病院に行きたくないと思うこともしばしばでした。私が安心して病院に行けるようになったのは、母が薬で眠らされたからだったのです。
母の死を知った知り合いは
母が亡くなった後、知り合いにこの話をしたところ、こんなことを言われました。
そんなに大変には見えなかったけど。だっていつも車が車庫にあったじゃない。
お家にいる時間もたっぷりあったでしょ。
本当に大変なときは家にいる間もないんじゃない?
別の知り合いには、早く終わって良かったね、と言われ、一瞬返事ができませんでした。確かに長い間闘病を続ける人に寄り添うのは大変です。親の介護で心身ともにすり減らしてしまう人が多いのも事実です。
確かに私は恵まれていたと思うし、本当に早く終わって良かったのです。あのままの生活が1年2年と続いたらどうだっただろう、と考えると恐ろしいような気もします。
しかし、それでも私が過ごした時間は愉快なものではありませんでした。壊れていく母を見ていると怖かったし、自分の決定が母に影響するのだと思うと心細かったです。
羨ましいと思っている相手も誰かを羨んでいるかも
でも、同時に人を羨むことの実態はこんなものかも、とも思いました。自分に比べてあの人は楽をしている、悩みなんてなさそうだと思っても、実は母のところに通っていたときの私のように、内面にはいろいろと抱えているものかもしれません。
母がいよいよ危ないということになって、病院に泊まり込んだ次の日の朝、朝食を買いにコンビニに行った私は、多くの通勤する人たちに出くわしました。
初冬の装いで急ぐ人たちは、とても活気に溢れて見えました。世間は何事もなく動いているのに、自分の時間だけが止まっているように私には感じられたのです。しかし、今考えると、その人たちも何かを抱えながら、それでも職場に急いでいたのかもしれないと思うのです。
誰かを羨んでも、その誰かもまた、他の誰かを羨んでいるかもしれないです。これはもう、キリがありません。これに気づいただけでも、私は1歩前進したのではないかと思います。