現在子どもが通学している人なら、もう知っているでしょうが、保護者には役員のほかにボランティアをすることが求められます。学校によってはいろいろなボランティアを募集しています。
役員だけじゃない!ボランティアの存在とは
例えばベルマークを集めて、仕分けをして、ベルマーク教育助成財団に送って、学用品などに変えるボランティア、子どもたちの校外学習に付き添って、安全を確保するためのボランティアなどがあります。こうしたボランティアは、「学校ボランティア」という名称で、毎年募集されました。
私がやったのは、子どもたちに読み聞かせをするボランティアです。次女が小学生になったのをきっかけにして始めました。教育的な意味から読み聞かせをしようとしたのではなく、あくまでも何か面白そうだったから始めました。また、新しい環境に次女が慣れるかが心配だったので、見守りたいという理由もありました。
読み聞かせは毎週1回、朝1時間目が始まる前の15分で行いましたが、毎週子どもたちに合わせて何を読むかはボランティアをする本人に任されていました。学校ボランティアには、リーダーがいて、その人が月に1度市内の図書館で、紙芝居を借りてきてくれますから、それを読んでもよいし、学校の図書室で好きな絵本を選んでもよいということでした。
絵をしっかりと見せられる、紙芝居が子どもたちにもボランティアにも人気がありました。
毎週の読み聞かせがすぐに苦痛に…
こうして始めたボランティアは、最初の間は新鮮でしたが、すぐに慣れてしまいました。1週間というのは意外に早く過ぎてしまい、もうボランティアの日だと思うことが多くなりました。
それでも、読み聞かせはパートの仕事のようにシフトが組んであり、自分が行かないとそのクラスは読み聞かせがなくなってしまいます。読み聞かせが1度なくなったからといって、別にどうということはないとは思いましたが、万が一子どもたちががっかりしたら、と考えると休むこともできず、段々とボランティアそのものが苦痛になってしまいました。
リーダー役が回ってきた
何とか1年が経ちましたが、今度は私にリーダー役が回ってきてしまいました。ちょうどそのとき、ほかのお母さんは小さな子どもを抱えていたので、私は読み聞かせがなくなると、子どもたちもお母さんたちもがっかりするだろうと考えて、リーダー役を引き受けました(サポート役をつけてもらいましたが、その人もまだ赤ちゃんを抱えていました)。市の読み聞かせのための講習会に出かけ、紙芝居を借りに行き、ボランティア便りなるものまで作って生徒たちに配りました。
もう1年経とうというときに、次のリーダーをやってくれそうな人が誰もいないことに気が付きました。担当の先生からも、「〇〇さん(私の名字)がずっとリーダーをやってくれると、ありがたいです」などといわれる始末でした。
この頃には私は学校で読み聞かせをすることにあまり意味を感じなくなっていました。本は自分のペースで読むのが、やはり楽しいのです。自分で読めば、頭の中にその本の世界ができます。その世界に浸るのが楽しいのに、知らないおばさんの声で読まれるのでは台無しになります。読み聞かせは、小さな子どもが自分の身近な大人に読んでもらうから楽しいのではないでしょうか。字が読めるようになったら、自分で読めばよいのです。
ボランティアは何かがないと、続かない
結局私は2年で一切、ボランティアとは縁を切ってしまいました。その後は立て続けに役員をやったので、あまり人からとやかくいわれることはありませんでしたが、それでも何回かはまたやろうよ、と声をかけてもらいました。でも、まったくやる気になることはなかったです。
私は母親としては冷たいのかとも思いましたが、自分の子どもたちの反応を見ていると、学校で読み聞かせをしなくてもよいのではないかという思いは消えませんでした。
自分が楽しいか、または強い使命感がなければボランティアは続かないのかもしれません。
そんなことはない、私は自然体でボランティアをずっと続けている、という人は、そのボランティアがとても自分に合っている証拠なので、ぜひ大切にして欲しいです。
何がいいたかったのかというと、まあ、そんなお母さんもいるよ、ということです。お母さんもいろいろといます。料理ができない、掃除が嫌いと同じで、子どもの学校のボランティアに一生懸命になれないお母さんもいるということをわかって欲しいです。学校ボランティアを通して、絶対やらなくてはならないこと以外はやりたくない、こんなふうに考える人間だったのだと、自分を再発見できたような気がします。