夫の弟から電話がありました。30年近く務めた会社を退職して、自分が生まれ育った土地に再び住む決心をしたそうです。弟は長い間精神の病で休職していた上、一昨年の暮には脳梗塞を発症して3カ月以上も入院してしまいました。
弟に対する不安はあるけど
弟は夫よりも4歳下ですが、もう54歳です。私たちは弟が職場復帰をするのは、無理ではないかと感じていました。だから、現在私たちが住む土地に弟が帰ってくるのは、予想できました。と言うか、彼が生活していくには、そうするより他にないだろうと思っていたのです。
しかし、弟が祖母と暮らしていた実家(私たちが住んでいる家と同じ敷地に建っていました)はすでに老朽化が進んで取り壊してしまいました。弟にもどうしようかと相談はしたのですが、そのときは「好きなようにして」と言っただけだったのです。
だから、まず住まいから探さなくてはなりません。現在無職の弟の住まいを探すのは大変なことなのか、私には想像もできません。ちょっと考えるだけで、気持ちが暗くなってくるのですが、昨年の今頃のことを思い出すと、少し気持ちを持ち直すことができます。
1年前に比べると確実に事態は良くなっている
昨年の今頃、弟は緊急入院した病院から、リハビリ専門の病院に転院しなくてはなりませんでした。病院を探し、受け入れてくれるかを打診して、そしてまだちゃんと歩けない弟を連れて行かなくてはならなかったのです。
都内の救急病院から埼玉県内のリハビリ専門の病院まで弟を移動させるのは、自家用車を使ってもとても気を使いました。まだ、めまいを訴える弟をずっと車に乗せっぱなしにはできなかったからです。
食事を摂る、トイレに行くというちょっとしたことも、弟が1人で行うのを見ているだけで不安でした。それを考えると、今は少し気が楽です。
弟は昨年の3月に退院した後、一応自分1人で暮らしていますから、病状が悪化するのではないか、という不安からは解放されています(不安が完全になくなったわけではありません。再発するのではないかという不安はあります。そうしたら、入院費・治療費はどうしたら良いのだろうと思っています)。
父に比べるとまだ良いと思えた
弟を転院させるとき、私は自分の父を湯河原のリハビリ専門の病院から、埼玉県内の実家に連れて帰ってきたときのことを思い出していました。母は1人では不安だったのでしょう。当時高校2年生だった私を一緒に連れて行ったのです。
当時父の状態はとても鉄道を使って家に帰れるようには思えませんでした。自力で歩けると言っても、杖にすがってほんの少しずつ前に進むのが精一杯で、側を人が通っただけで風圧で倒れそうになりました。
見ていて不安になるのは、弟の比ではありませんでした。それでも私たちは無事に実家に帰り着き、父が73歳で亡くなるまで、一家は誰も欠けることなく、元気に生活することができました。だから、夫の弟を見ても、何とかなると思うことができたのです。
嫌な思いをしても、それが役に立つ
50年以上生きていると、あまり体験したくなかった、これは嫌だったと思うことが蓄積していきます。ですが、この嫌だったことが次に嫌なことがやってきたとき、思いの外役に立つように思います。ああ、あのことよりはマシだな、そう思って自分をなだめ、何とか冷静になることができるのです。
そうやって、なだめているうちに、解決策が見つかったり、時間が解決してくれたりして、何とか切り抜けられるというわけです。
1年前のことも、高校2年生だったときのこともそんなに愉快なことではありませんでしたが、それが下敷きになって、次の困難を軽くしてくれた、と思っています。
まあ、今我が家が抱えているのは弟のことだけではありません。2人いる娘たちの今後のことだって心配です。どちらもちゃんと自立してはいません。次の悩みが出てくることで、今の悩みが見えなくなる、そんな感じで私は生きていくのかもしれません。