あのドラマを見て宗教について考える・信者も教祖も人間だから…

宗教 なくならない テレビ

最近、次女に付き合って見ているのがこのドラマです。

人生に切羽詰まってしまった2人の男が生活のために宗教団体を立ち上げますが、そこに様々な人たちの思いが絡み合って思わぬ方向に行ってしまうという内容です。

このドラマの面白さは

宗教だから様々な事情がある人が集まり、信者となります。その事情だけでもドラマがあって、宗教に入ることの意味を考えさせられますが、このドラマの面白いところはそれだけでなく、宗教を作る立場の人、そしてそれを利用しようとしている人の姿まで描いているところでしょう。

私は信者になることはできても、多分宗教を作って教祖様になったり、ましてやそれを利用する人になることは不可能だと思うので、余計に興味深いと思います。

普通は信者になる人もそれほど多くないかもしれません。だからドラマの中の信者たちのことを、ドラマの中だからこうなんだ、と思う人もいるでしょう。

しかし、私の母もある宗教に加入していたため、私はかなりこのドラマには共感できました。信者になって宗教に夢中になる人の姿を、結構忠実に再現できていると思います。

家族が信者になったとき

母は私が高校1年生の頃に〇〇佼成会に入信しました。なけなしのボーナスで仏壇を買い、毎朝長い時間をかけてお経をあげていたのをよく覚えています。

母が入信すると言ったとき、私と弟、父も大反対でした。ましてや誰も亡くなっていないのに理由もなく仏壇を買うなんて…本当に止めてくれ、と何回も言ったと思います。

父も自分が倒れて働けなくなったことで、母が宗教に走ったと思ったのでしょう。父は言語障害が残って会話が不自由になっていましたが、大きな声で「あ~、嫌だ嫌だ」と言っていました。

家族より宗教の方が良い理由

今となっては何がそんなに嫌だったのかと思いますが、当時は普通とは少し違う仏壇を見るのも嫌なら、大きな声で長々とお経をあげる母を見るのも嫌でした。

私たちが嫌がったことで、母は居場所をなくしてしまい、余計に宗教に走ったのかもしれません。ドラマの中でも信者たちは実生活の中での居場所をなくし、宗教の道場(?)をかけがえのない居場所にしていました。

そして信者同士が親しくなるにつれ、疑似家族のようになっていきます。一度家族というものを作ってしまうと、それは自分か家族のどちらかが死ぬまで続きます。

どんなに辛い出来事があっても、途中で降りるわけにはいきません。しかし疑似家族なら、元は他人ですから本当の家族よりも節度を持った付き合いができるし、本当に辛くなったら離れればよいわけです。

家族と他人の良いとこ取りができる疑似家族(宗教)の方が、辛い思いをしている人にはありがたいのかもしれません。

結局、教祖様も人間だから…

母は宗教活動についてはいろいろと文句を言っていましたが、とうとう亡くなるまで信者のままでした。ドラマを見ながらこんなことを考えていると、きっと教祖様や宗教を食い物にしようとしている人の視点もあながち間違ってはいないと思えてくるのです。

ドラマは2月11日(日)に最終回を迎えます。軽い気持ちで立ち上げた宗教は様々な人の思いを乗せて変貌し、暴走を始めているのかもしれません。作った人にもそれは想像のできないほどの変貌なのかもしれないと思うとき、怖いと同時に面白いとも思うのです。

それにしても母は〇〇佼成会に入信して、少しは救われたのでしょうか?よくお布施の金額で、信者のランクが決まるのはおかしい!などと言っていましたが…まあ、信者も人間なら教祖様も人間です。相性もあるだろうし、そうそうはうまくいきませんよね。

そんなにばっちり救われるなら、私だって入るかも。

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