ここ数年、毎週日曜日はNHKの大河ドラマを長女と一緒に見ています。今年の「麒麟がくる」は明智光秀が主役というのが珍しいと思っていました。トラブルによって第1回の放送が例年より遅くなったのも、まるで演出のようだと思って、楽しんでいました。
コロナがドラマまで止めてしまった!
ところがコロナ騒ぎのために収録ができなくなり、6月7日放送分の後は休止ということになってしまいました。再開はいつになるのかわからないようです(HPには、再開が決まり次第お知らせします、とあるので)。朝ドラも6月で放送が休止になるということですが、コロナ騒ぎがこんなところにまで影響するのには驚いてしまいます。
明智光秀は歴史の授業ではそれほど踏み込んで教えてくれなかったと記憶しています。多分本能寺の変を起こした張本人と覚えていれば、テストではOKでした。なぜ織田信長に仕えていた光秀が本能寺の変を起こすに至ったのか、せっかく取った天下がなぜ三日で終わってしまったのか、考えてみると不思議なことがたくさんあります。今まで明智光秀がドラマの主役になれなかったのが不思議なくらいです。
新しい光秀像が確立された!
今回の光秀は今までのドラマに登場した俳優に比べて、アクのない顔、テンポの早い語り口で今までにない光秀像を作り出しています。もともと光秀役の長谷川博己さんはどんなドラマでもセリフの1つひとつに内容が凝縮されていて、とにかく文字数が多いという印象を受けます(その上金田一耕助役のときは、鬼気迫る演技で本当に探偵なのかと疑問を感じたほどでした)。ドラマだから受け入れますが、もし漫画だったら面倒くさくなって読まないかもしれません。
しかし今回に限っては、この凝縮された文字数の多いセリフが、戦国時代を果敢に生き抜いて行く光秀をうまく表しているように感じられます。口も手も存分に働かせないと、戦国時代は生き抜いていけない、ということを私たちに教えてくれているかのようです。それだけではなく、長谷川さんは見事な殺陣も披露してくれます。昨年の「いだてん」では見ることがかなわなかった殺陣を堪能した大河ドラマファンが今年は大勢いたはずです。
ドラマそのものよりも、興味深い俳優
俳優という職業柄、長谷川さんは大変若々しく、魅力的な男性に見えますが、それでも青年とは言えません。満を持して大河ドラマの主役を掴んだと言えるでしょう。でも、それが最初は共演する予定だった俳優の不祥事で足止めをくらい、やっと滑り出したと思ったら、今度はコロナのために放送を休止せざる負えなくなりました。
誰の人生にも悪いことばかりがあるわけでもなければ良いことばかりがあるわけでもありません。禍福は糾える縄の如しという言葉もあるくらいですが、それを実地に感じさせてくれた俳優というのは長谷川さんが初めてです。
まだやっと中盤戦に差し掛かったところで、足止めをくらってしまった「麒麟がくる」ですが、間違いなく私たちの心には残るはずです。2度も足止めをくらいながら、へこたれなかったドラマとして、明智光秀の人生を教えてくれるだけでなく、ドラマを作る多くの人々の気持ちや俳優としての長谷川さんの姿はきっと私たちに忘れがたいものを残してくれるはずです。
みんな麒麟を待っている
ところでドラマのタイトルにもなっている麒麟(きりん)は中国神話に登場する想像上の生き物です。良い指導者が政治を行うときに現れるそうです。ドラマでは何回も麒麟を待ち望む人々の言葉が聞かれます(戦国時代の終わり、つまり良い指導者を待ち望んでいるのです)。
何だか今の世の中を風刺しているように感じられます。今の世の中は戦国時代ではありませんが、当分麒麟は現れそうにありませんね。