私は閉経したので、生理がありません。しかし、私には2人の娘がいて、生理用のナプキンはよく購入します。
自分が生理になるときは、生理用のナプキンを買うときにあれこれ考えませんでした。使うから買う、買わなければ仕方がないと思っていたのでしょう。
今ならわかる、生理にはお金がかかる!
今は違います。買い物に出かけるのは私の仕事のようになっているので、生理用ナプキンもついでに購入しますが、わざわざそれを思い出すのも面倒なら、お金を払うのも面倒です。
娘たちが普段使っている生理用ナプキンは1袋400円近くします。1カ月に1袋を使うとして、年間4800円、生理が30年続くとして14万円くらいはかかります。他にサニタリーショーツや生理痛がある人なら鎮痛剤も必要です。
生理用品も買えない人がいるのを信じられないと、新聞に投書した男性がいましたが、冷静に考えると生理にはお金がかかります。そのお金で食べ物を買いたいと考える女性がいても不思議ではありません。
今手持ちが500円しかない、お腹が減っている、となったら誰でも食べ物を買うでしょう。生理がなければ、そこは悩まずに済みます。私のような閉経した女性だけでなく、男性なら一生、そこに思いが行くことはないはずです。
生理のときは不安だ
生理のときはそれでなくても、外出には不安がつきまといます。経血がもれて服が汚れたらどうしよう、椅子を汚したらどうしよう、と考えるからです。大体の場合、経血が大量に流れ出るのは女性にコントロールできません。
現在販売されている高性能なナプキンを使用していても、その不安は完全に解消されていないようです。経済的な問題で生理用品を買えない女性は、どんなに不安でしょうか。
だから生理用品の無料配布や軽減税率の導入が望まれるわけですが、もう少し他に対策が欲しいと私は考えてしまいます。
もっと対策はできないのか
例えば、ナプキンの値下げはできないのでしょうか。パッケージの簡素化やコマーシャルをしない、などで今よりも安いナプキンを作ることができれば、多くの女性がナプキンを買いやすくなるように思います。
現在は月経カップや吸水ショーツなど、新しい生理用品も続々と登場しています。1度購入したら、ある程度継続して使える生理用品が登場すれば、女性の経済的な負担が軽くなるのではないでしょうか(初期投資への補助は必要かもしれませんが)。
生理用品の無償配布以外にも、様々な対策をすることで、生理の貧困に苦しむ女性たちを残さず支援できるのではないかと思います。
意識を替えることも必要
それからこれは私も初めて知ったのですが、生理用品を買いたいと親に言えない子どもがいるそうです。父子家庭で、父親に恥ずかしくて言えないこともあるし、親が買うことを許してくれない場合もあるそうです。
そんなことを言う人の考え方も変えていかないといけません。生理の貧困をなくすためには、生理に対する意識を変える必要があります。生理用品を買うなという人にはこう言いたいです。
じゃあ、あなたはトイレットペーパーを買わないで、我慢してね。それくらいのことをあなたは言っているんだから。
この世の人間はひとり残らず、誰かの生理によって生み出されています。それをそこまでないがしろにするならば、それ相当の覚悟で言っているのでしょう。しかし、覚悟があって言っていたとしても、とても納得できるものではありません。
生理は大切だから
我が家の次女はもう引きこもり生活が5年目に入りましたが、引きこもりだした最初の頃、生理が半年近くありませんでした。婦人科で診察を受けましたが、ホルモンバランスなどに異常はなく、ストレスのせいだろうと言われ、治療に低用量ピルを使いました。
結局予定の治療をすべて終える前に生理が来て、それからは規則正しく生理があるようです。次女は生理のないときは、楽でいいよ、などと言っていましたが、やはり見るからに元気がありませんでした。
心身のバランスを崩すと生理がなくなるということは、生理が規則正しく来ているのはある程度健康だから、ということを強く感じました。将来子どもを産める産めないは関係ない、今このときの次女が健康であって欲しい、という気持ちでいっぱいだった私は、やっと本当の生理の価値がわかったような気がしました。
閉経して初めて私は客観的に生理について考えられるようになり、その価値もわかったわけです。閉経しているからこそ、生理の貧困について何かができるのではないかと思います。
日本人は末期的なのかも…
私がもっと記事を読んでもらえるブロガーなら、こうして記事を書くことが、誰かの考えを変えることにつながるんですけどね…生理の貧困がある限り、日本の少子化は止まらないでしょう。
生理をないがしろにするのは、女性や子どもをないがしろにすることだし、それは結局自分自身に帰ってくるのだと思います。まあ、こうして絶滅に向かっていく運命なら、それも仕方のないことかもしれません。