昨夜テレビを見ていたら「阿修羅のごとく」という向田邦子脚本のドラマの再放送をしていました。もうご存知の方も多いと思いますが、ごく普通の生活を送っている四姉妹が実は内なる修羅を秘めているという内容です。
私が中学3年と高校1年のときに放送されたドラマで、共感を覚えていたわりの気持ちを生む場面もあり、自分と同じだとグサリとくる場面もあり、取り立てて大事件が起きるわけではないのに(しかし、いろいろなトラブルが起きています。不倫だとか、介護問題だとか…)、つい見てしまいました。
同じような世界なのに何かが違う不思議
ドラマの中では戦争に関するセリフも出てきます。四姉妹の父親の不倫相手について語る場面では「派手な縮緬のもんぺを履いていた人」という言葉が出てきますが、今それでパッとイメージが浮かぶ人は少なくなっているでしょう。
不倫相手と会っている父を待つ母は石臼で小麦を挽いて小麦粉を作っている、その石臼を挽く音が母の思いを表すように、胸を打つような不安な音でゴロゴロと響きます。本当に不安になるような音なのですが、現在私たちは石臼にもピンと来なくなっています。私が中学生のときですから、今から約40年前です。その頃はそんなにも戦後という感じの時代だったのでしょうか?
テレビ画面の中の女優さんの中には亡くなった方もいましたが、生活は今の私たちとほとんど変わらなく見えました。今とほぼ同じような服装をして、街には車が走り、朝の駅には定期的に電車が来ます。不倫をされたら苦しむし、親の老いを感じれば不安になる、これも今の私たちと変わりはないです。
しかし、決定的に何かが違っているようなのです。それは何なのか?時代が違うのか、とも思います。私たちの年代が子どもの頃、周りの大人達の多くが第二次世界大戦を経験していました。そのことが戦争を知らない若い世代との違いを生み、独特の世界観を作っていたのかもしれないと思います。
向田邦子に今の世の中はどう映るのか?
しかし、第二次世界大戦を知っていた大人の多くがこの世を去りました。それに第二次世界大戦の後もこの世には多くの禍が起こり続けています。今はその後の禍の影響の方が大きいのかもしれません。
もし、向田邦子さんがまだ生きていたら、この世をどんなふうに見てドラマにするのか、とても見てみたいと思いました。今の世の中もなかなかに厄介で、向田邦子さんもドラマにしがいがあると思ってくれたかもしれません。
根本的には「阿修羅のごとく」のときと人間は同じことで苦しむのでしょうか。それを見たいような見たくないような不思議な気持ちですが、やはり怖いもの見たさで見たいのだろうと思います。
しかし向田邦子さんは「阿修羅のごとく」の放送後、間もなく飛行機事故でこの世を去ります。二度と新作は見られないわけです。ドラマを見ながら、いろいろな感情がないまぜになり、同時にもったいないってこういうことなんだなと、彼女のことを偲んでいた私です。
高校生になった私は、取り憑かれたように向田邦子さんの作品を読んでいたことがありました。夏休み中のある日、新聞に大きく彼女の訃報が載り、それを見た私は『あ~あ、もう新作は読めないのか』とがっかりしました。「阿修羅のごとく」はそんな昔の記憶まで掘り起こしてくれたのです。