誰かが亡くなることで、人間関係も変化する・こうして古い親戚付き合いは終わるのか

亡くなって変化すること 生活

ご近所の女性が亡くなったため、夫が葬儀に参列することになりました。

親戚付き合いは終わりを迎えた

女性は我が家の遠い親戚にあたり、住んでいる場所が近かったこともあって、ずっと親戚付き合いを続けていました(最近ではお盆やお彼岸にお互いに訪ねあって、お線香を上げるくらいの付き合いでした)。

我が家では夫の父母が早くに亡くなったため、夫は父の代理として付き合いを続けてきたわけです。しかし、今回の葬儀でそれも終わりを迎えたようです。

夫はもともと女性が亡くなった際には、葬儀に参列するだけでなく、手伝いをするつもりでいましたが、女性の夫からは「通夜と告別式はどうしますか?参列します?」と聞かれたそうです。夫と血の繋がり(かなり薄いですが)があるのは女性の方でした。だから、女性が亡くなったことで、親戚のくくりではなくなったのかもしれない、と夫は考えたようです。

終わらせるのは息子たちのため

それを私に話したとき、夫は「これでいいんだ、もともと俺は親父の代わりに付き合いをしていたんだから」と言いながらもどこか寂しそうでした。私と夫は女性やその夫との付き合いはしてきましたが、息子たちとは数回話をしたことがある程度で、とてもお付き合いがあるとは言えません。

このまま代替わり(つまり女性の夫がなくなった後)をすると、息子たちがいろいろと思い悩むことになるでしょう。このままの付き合いを続けるなら、最終的には息子たちが、ほとんど今まで付き合いの無かった私や夫を自宅に迎え入れ、もてなしをしなくてはいけないことになってしまいます。

これは私にも経験がありますが、なかなかしんどいことです。はっきり言って気まずいです。かと言って、これでお付き合いを終わりにしましょうと、はっきりと言葉にするのも気まずいのです。だから、今ここでお付き合いの区切りをつけるのは、女性の息子たちにとっての思いやりのある行動であると言えます。

終わったから感じるのは、開放感だけではない

結局、通夜に参列した夫は親戚一同と書かれた生花を見て、「俺は何も言われていないから、花代を払っていません」と申告しましたが、「もう、いいんだよ」と言われたそうです。本当に女性の家との親戚付き合いは終わりを迎えたわけです。

夫は女性やその夫にはとても世話になったと感謝している反面、若い頃からたくさんの遠い親戚に囲まれ随分と嫌な思いもしました。一度はどうしても仕事をどうしても休めず、葬儀の参列(やはり遠い親戚のもの)を弟に頼んだことをとても怒った親戚がいたそうです。その親戚はこんなことを夫に言いました。

こんな大切なことを弟に任せるなんて、お前は何を考えているんだ!葬儀には長男が参列するものなんだよ。

その親戚はずっと自営業をしていたため、普通の会社員が仕事を休むことについては軽く考えていた節がありますが…。

夫にしてみれば、今まで大変だったことが急に終わってしまった開放感だけでなく、今までの我慢は何だったのだ、もしかして無駄だったのかという疑問が湧いてきてしまって複雑な心境になったのかもしれません。

私は開放感を味わおうと思う

実は私もまだ落ち着かない気持ちでいます。お盆もお彼岸も誰も来ない、それがはっきりとわかっているのはすごく久しぶりだからですが、少し肩の荷を下ろせると前向きに捉えたいです。考えてみれば、娘たちが幼い頃は自宅に親戚を迎えるだけでなく、わざわざ子ども連れで、お線香を上げるために親戚の家に出かけていました。

茶菓子の用意、お土産の用意なども負担でした。これからはお盆もお彼岸も気楽に迎えられるのだと考えたら、何だか嬉しくなってきます。まあ、夫は私の負担など気がついていないでしょうから、開放感などないでしょう。彼はまだまだ複雑な心境が続くのかもしれません。

でも、こういうことで人間関係が変化していく、これは夫でなくても寂しいかもしれませんね。

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